好き嫌いの不思議

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食べ物は、好き嫌いなく食べたほうがよいです。
また、食べ物の好き嫌いを公言することをやめたほうが、いいです。

理由は、道徳的なものとか、社会通念的なものとか、ではありません。

ズバリ、 『 誘われる 』 を逃さないためです。

サッカーがあまり好きではないという人に、サッカーの観戦の機会はあまりこなかったり、野球がキライという人に野球を見に行くチャンスがない事とおなじなんですが、食事は、魚食いに行こう、肉食いにいこう、という具体的なたべものを指して行く機会が多いですね。
不思議と、食べ物を食べに行くということは、食そのものを楽しむということのほかに、その食べ物を介して参加者が意思疎通を図ることが目的になっている事が多くないでしょうか。

食事をするという縁を大事にするには、おのずと、好き嫌いをなくす努力も必要だと思う今日この頃です。好き嫌いはありません、と公言できる人にはなかなか説明できない 「謙虚さ、安心感、素直さ、育ちのよさなどなど」を醸(かも)しだす、本当に説明できないオーラーのようなものが出てる事があります。

世の中の仕組みを数字や文言で説明できない場合、このオーラを頼って縁を手繰りよせられ、そして良い運を得る場合があるということを私は身をもって体験しています。

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