会社が無くなる日に思うこと

だいまるコラム

今日は、2017.3.31金曜日 です。

実は、本日は、株式会社だいまる薬局の最後の営業日です。

明日からは、社名が変わります。

よくぞ、13年と11か月、続いたものだと思います。初めまして、の初々しかったことを昨日の事のように思い出します。

開業の案件のお話を聞いてから、開業日まで1か月しかなかったこと

どんどんお金が無くなっていったあの不安感

転機となったきっかけ

人事が二転三転したあの頃

経営が安定してきてほっとした短い時間

自分の経営能力のなさに悶々としたとき

たのしい友の会の旅行

などなど、実に思い出の尽きない時間を過ごさせていただきました。

開業から今までの時間を通して思うことは、本当に周りに助けられた!ということ。自分一人で何かができると思っていた時もありました。でも、わたしは、本当に周りに助けられた。

感謝

感謝の気持ちでいっぱいです。

ありがとうございました。

先ほど、最後の終礼をしました。

会社名は変わるけど、薬局のスタッフ、中身、理念は少しも変わらない。

すこしだけこの理念を踏襲して、次の会社のカルチャーを早く吸収してほしい。

残るスタッフへの言葉で締めくくります。

ではでは、お世話になりました。

今後は、このホームページは閉鎖しますが、書き溜めた財産は公開できるよう準備中です。

これからも、うんちく、たくさん書きたいな。

会社が無くなる日に、そう思えるなんて、本当に幸せです。

 

やはり函館はダメな町だと思う

だいまるコラム

期待を込めているので、タイトル通り読まないでほしい。

私は、実は、上磯で生まれ育ったから函館が嫌い、といっているのではないのです(笑)。

すくなくとも、郡部といわれようとなんであろうとそこを含めた函館圏がすきなんだけど、函館の一部のサービスがなってないと常々おもう、というそんな話です。

十数年ぶりにお会いする、懐かしい方と待ち合わせしました。
たのしかったなあ。
いっしょに働いていたころの昔話、ご先祖繋がりの話、現在の店の経営者の話、やはりあいつは騙されたか、といったたぐいの話。
一瞬にして十数年間が縮まるあの感覚を久しぶりに味わいました。

さて、場所は、私が指定しました。駐車場がたくさんあるから(笑)。

コーヒー一杯750円は高いけど、ホテルだし、おかわりしても750円だし。
と思った私がダメなやつなのか、
それとも、飲んだだけ750円の倍数になる仕組みがダメなのか。

高かった(笑)。

函館のダメなところは、だまってても観光客が来るからか、食べ物はまあまあだからか、「サービス業と言う概念」が存在しない位に、バカバカしいくらいにサービス提供者側が偉いところかな、と思います。いいふりこきのしらみたかり。中身が伴わないえらい人は嫌われますからね!

新幹線が開通するといって浮かれてる姿を見ると哀しくなります。15年後には、がらがらの通過駅になってしまわないか。
よく私が出張でいく他の地域とはサービス提供人としてのレベルが違い過ぎます。あわれなくらいに、いいふりこきのしらみたかり

この前は、たのしかったね!と頂いたメールの最後に「国際ホテルのコーヒー高かったですね」ってかいてて(笑)。

もし、コーヒー出してくれた女の子が「どちらからいらしたんですか?」と聞いてくれたら、女の子にチップ3000円あげても良かった。(おじさんとしては、安い出費です)

つまんないこと書いてるな、オレとおもいながら、ここまで書いて、やっと言いたい事がわかりました!
そうそう、つまり、サービスが伴えば、決して高くない金額が、座って時間を費やしただけなのに、と思ったら、場所代として高かった!ということなんです。

でも、これが函館の文化だと開き直ってほしくは無いですね。うまいものを出すだけの居酒屋、浴室が立派なだけのホテル、は、ダメです。

古い薬剤師免許証

だいまるコラム

わたくしの、祖父の兄は薬剤師でした。

縁の方から資料を拝借しましたのでここに紹介したいと思います。

祖父の兄は佐藤宗助(Ⅲ) ※といいます。

さらに、遡って、祖父の父も養子縁組。その名前も佐藤宗助(Ⅱ) ※。

祖父の祖父の名前も、佐藤宗助(Ⅰ) ※。 ※    ( )の中は継いだ順。

つまり、祖父の兄も、祖父の父も、祖父の祖父も、宗助。
ややこしいです。

どうして?とおもって戸籍をとったところ、襲名というやつでした。旧制度の、家長は宗助を名乗ってたんでしょうね。

昭和9年に函館大火があって市役所の戸籍はほとんどさかのぼれませんがイメージだけはつかめました。

宗平=宗助(Ⅲ)

古い薬剤師免許証(及第之證)は、今のように厚生労働大臣の名前ではなく、陸軍の足立 寛 の印が押してあります。

北海道平民。なんか、古い感じがしますね。

宗助(Ⅲ)免許証   … 学説試験のあとに実地試験。当時はたいへんだったでしょう。

実家に、祖父(次男)の写真がありますが、この宗助お兄さん(Ⅲ)の写真とたいへん似ています。

このあたり血が濃いです。

佐藤宗助(Ⅲ)

宗平、宗次、三男は宗三郎。

宗平は 家を継ぎ、

宗次は 上磯で薬店をやり、

宗三郎は 谷地頭電停前 (海側)で薬店をやったようです。
最近古地図を見て発見しました。キク薬店。

谷地頭キク薬店佐藤宗三郎

【キク薬店】大日本職業別明細図1933年【昭和8年大火前】8月1日出版:東京交通茶社

残念ながら、大〇佐藤薬舗は宗助(Ⅱ)の死後、人手に渡ってしまいましたが、その後も建物は昭和九年の大火まではそのまま地蔵町52番地にあったようです。

さきほど、ネットで、函館地蔵町の小島大盛堂前から東側を撮った、総天然色(笑)の絵葉書をみつけました。

地蔵町(昭和初期大火前)

市電の線路があって、中央に電車(市電)がみえます。その右手の白い壁の三角屋根の建物は、このページの建物です。
真向かいが及能商工会社。現在の及能株式会社の住所は豊川町。~~地蔵町は、いまの豊川町なんですね。

左手のピンクの建物は 函館新 と、読めます。函館新聞社です。大火前の地図と照合したので間違いないとおもいます。

佐藤の姓は佐藤宗助(Ⅰ)から、養子縁組で今に至ってます。
宗助(Ⅱ)は、新潟から。
宗助(Ⅲ)は残念なことに他の家に養子縁組して改姓してしまったので、次男である私の祖父が佐藤を名乗ってます。
戸籍法も変わり、戸主が宗助を名乗る事もなくなりましたが、子供が無かった祖父は、わたしの父を養子縁組で佐藤の姓に入れました。
わたしも縁あっての佐藤なんですね。

宗助(Ⅰ)、宗助(Ⅱ)の位牌がうちにあります。子供のころから、なぜ、長男じゃないのにうちにご先祖様の位牌があるのか不思議に興味を持っていたことを思い出します。

今年のお盆、思い立って、昭和の初期に祖父が200円で購入したという仏壇と、家紋が入った位牌を収納するものを、修復することにしました。

買うよりはるかに高い修繕費ですが、これも私の役割なのでしょう。

勉強が、あまり好きじゃなくて、思いつきで薬剤師になった私です。

しかし、これも何かの縁に支えられて今があると思ってもう少し役割を果たしてみようかなと、思います。

 

ひさしぶりに感激した話

だいまるコラム

本州からお客さんがきた。

和食のお店を選び、

楽しい時間を過ごした。

帰り際、

定休日はいつなんですか?と聞いた。

月曜お休みをいただいています、と店主。

当日は、月曜日でした。

男は黙って、営業、なのである。

自分の顔

だいまるコラム

もう5年以上まえになるんですね。こんなコラム を書きました。

朝、元気がないスタッフに、元気?と声をかける。

返事は、(調子の出ない顔して)元気です と答える。

こんな繰り返しを何度かすると、こちらの調子が狂う(笑)。

どうして、元気?と聞かれるかわかってるかな。

 

いわゆる、ヤルキが感じられないし、覇気もない。

我々の仕事のカテゴリーは、サービス業なの。

相手のしてほしいことを先回りして言わんとすることを「察し」、そしてスマートに感じよく対応するのが仕事なの。

大事なことは、 仕事をする態度 が、

  • 今日は天気だから、とか、
  • 今日は風がつよいから、とか、
  • 今日は寒いから、とか、
  • 体調が思わしくない、とか、
  • 二日酔いだから、とか

そんな外的な要素や自分の都合で、それがすなわち顔にでてはいけないの。

じぶんの顔(つまり態度や、雰囲気)に出してはいけないの。

どんなに少ない給料であっても、お給金をもらって仕事をする人は、プロなの。

プロフェッショナルとしての自分のプライドをかけて、たとえ演技であっても気分を盛り上げて仕事をしなければいけないの。

それは、周りがやってくれるはずもなく、自分の仕事 なの。

おつりの渡し間違いをしないとか、患者さんの取り違えをしないとか、薬袋に入れ間違いをしないとか、錠剤を出し間違えないとか、注意・不注意の問題ではないの。

自分の顔ってのは誰のためについてるの?と教えてくれた接遇のプロがいました。気づかせていただいてありがたかったな。

自分の顔は、他人に見せるためについてるんですからね。

その顔で、信頼を得るんですよ。

対外的にも、もちろん社内でも。