ピエロと体操選手のちがい

だいまるコラム

ずいぶんコラムもごぶさたしています。

さぼってる?

さぼってません。

忙しい

気ぜわしい

おちつかない

考えがまとまらない

優先度が高い案件がある

などなど、いろいろありまして、今日に至ります。

ピエロと体操選手のちがい

↑ これ、書きかけたのは、2016.12月です。

ピエロは、とても簡単な動作を、もったいぶって難しそうに演技します。

それに対して

体操選手は、とても簡単そうに、高度な技術を繰り出す。

自分は、自分の人生の中でどちらを演技する人になりたいのかな?とふと思いました。

いずれにしても、決めるのは自分。

もう、9年も前になるのか~と感慨深いのですけど、当時こんな記事を書きました。

80歳で死ぬとして

人生は短いです。

80歳までたった25年です。

悔いのない人生を送りたいものですね。

『 何ができるか 』 と思っていた若いころですけど

これからは、『 何ができるか 』、ではなくて、『 何をしたいか 』 に考えをシフトしていかないといけないかな、そう思います。

 

人生という時間

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わたくし事ですが、父が数年前引退しました。

16歳のときに夜間高校に通いながら勤め始め、そのまま養子となり、以後勤続60年でした。

いつだったか、私がまだ子供のころ、食事時に、「自分は、貧乏の中から、ここまでできてもう十分満足」だといっていたことを記憶しています。

引退して、これから楽しい余生があるというころ、レビー小体型認知症といわれ、今日に至っています。

たまに頭脳明晰記憶力抜群(笑)になることがあって、そんなとき、人生って長かった?という問いかけをすると『 あっというまだった! 』 と即答され、びっくりしたことがあります。

私と父はふた廻りちがうので、イメージしやすくて、それこそ、これからが、あっという間の時間であるという事を意識する事があります。

そんな中、

昨日、恩師のお見舞いに行ってきました。

大学当時の教授は、御歳、85歳。もともと、お話し好きの先生です。昨日は、さすがにお疲れのようでしたが、よくお話ししてくれました。

どこに身を置いても研究と教育にとても力を尽くされた先生でしたが、努力しない人には手厳しいことをポンポンいう気骨のある方です。今回も、匿名でずいぶん教えていただきました(笑)。

さとうくん、仕事ができなくなったら生きている価値なんてないね!

自分の人生は、周りから助けられ支えられ、本当に楽しいもんだった。ホントにありがたい。

終活もずいぶんした。

(薬学部)6年制になって学生たちがかわいそう。

いまの、教員一人当たりの学生数を受け入れた人たち。そんな人たちだとは思わなかった。

などなど。あっというまの二時間でした。

人生が、短いのであれば、しっかりと生きよ。目的を自覚して生きよ。そう教えられたような気がします。若いころに、しっかりとした薫陶をうけて育った人と、そうではないひと。差がつくのは終活のころなんでしょうね。

古い薬剤師免許証

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わたくしの、祖父の兄は薬剤師でした。

縁の方から資料を拝借しましたのでここに紹介したいと思います。

祖父の兄は佐藤宗助(Ⅲ) ※といいます。

さらに、遡って、祖父の父も養子縁組。その名前も佐藤宗助(Ⅱ) ※。

祖父の祖父の名前も、佐藤宗助(Ⅰ) ※。 ※    ( )の中は継いだ順。

つまり、祖父の兄も、祖父の父も、祖父の祖父も、宗助。
ややこしいです。

どうして?とおもって戸籍をとったところ、襲名というやつでした。旧制度の、家長は宗助を名乗ってたんでしょうね。

昭和9年に函館大火があって市役所の戸籍はほとんどさかのぼれませんがイメージだけはつかめました。

宗平=宗助(Ⅲ)

古い薬剤師免許証(及第之證)は、今のように厚生労働大臣の名前ではなく、陸軍の足立 寛 の印が押してあります。

北海道平民。なんか、古い感じがしますね。

宗助(Ⅲ)免許証   … 学説試験のあとに実地試験。当時はたいへんだったでしょう。

実家に、祖父(次男)の写真がありますが、この宗助お兄さん(Ⅲ)の写真とたいへん似ています。

このあたり血が濃いです。

佐藤宗助(Ⅲ)

宗平、宗次、三男は宗三郎。

宗平は 家を継ぎ、

宗次は 上磯で薬店をやり、

宗三郎は 谷地頭電停前 (海側)で薬店をやったようです。
最近古地図を見て発見しました。キク薬店。

谷地頭キク薬店佐藤宗三郎

【キク薬店】大日本職業別明細図1933年【昭和8年大火前】8月1日出版:東京交通茶社

残念ながら、大〇佐藤薬舗は宗助(Ⅱ)の死後、人手に渡ってしまいましたが、その後も建物は昭和九年の大火まではそのまま地蔵町52番地にあったようです。

さきほど、ネットで、函館地蔵町の小島大盛堂前から東側を撮った、総天然色(笑)の絵葉書をみつけました。

地蔵町(昭和初期大火前)

市電の線路があって、中央に電車(市電)がみえます。その右手の白い壁の三角屋根の建物は、このページの建物です。
真向かいが及能商工会社。現在の及能株式会社の住所は豊川町。~~地蔵町は、いまの豊川町なんですね。

左手のピンクの建物は 函館新 と、読めます。函館新聞社です。大火前の地図と照合したので間違いないとおもいます。

佐藤の姓は佐藤宗助(Ⅰ)から、養子縁組で今に至ってます。
宗助(Ⅱ)は、新潟から。
宗助(Ⅲ)は残念なことに他の家に養子縁組して改姓してしまったので、次男である私の祖父が佐藤を名乗ってます。
戸籍法も変わり、戸主が宗助を名乗る事もなくなりましたが、子供が無かった祖父は、わたしの父を養子縁組で佐藤の姓に入れました。
わたしも縁あっての佐藤なんですね。

宗助(Ⅰ)、宗助(Ⅱ)の位牌がうちにあります。子供のころから、なぜ、長男じゃないのにうちにご先祖様の位牌があるのか不思議に興味を持っていたことを思い出します。

今年のお盆、思い立って、昭和の初期に祖父が200円で購入したという仏壇と、家紋が入った位牌を収納するものを、修復することにしました。

買うよりはるかに高い修繕費ですが、これも私の役割なのでしょう。

勉強が、あまり好きじゃなくて、思いつきで薬剤師になった私です。

しかし、これも何かの縁に支えられて今があると思ってもう少し役割を果たしてみようかなと、思います。

 

いつまでも、みんな若くありたい。でも、みんな若くない。

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うちの両親がお世話になっている 中高年専用フィットネス シャキット!   さんがシェアしたリンクから引用させてもらいました。

年寄りというカテゴリーが、病人と同等のイメージしかないのはおかしいですよね。

若さとは人生のある時期のことではなく、心のあり方のことだ。
(青春とは人生の或る期間を言うのではなく、心の様相をいうのだ

サミュエル・ウルマン

やっぱり努力が必要だということじゃないでしょうか。

人生の最後の10年の過ごし方

こんなに、書かなくなるとは…。ごぶさたです…。

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一年くらい、書かない(かけない)でおりました。

ふりかえってみて、ずいぶんといろいろな事があったなあと思います。

2013年

5月、静か~に迎えた10周年。

8月、事務スタッフがだんなさまの転勤で退職。

11月、12月、65歳定年で、パート薬剤師のお二人退職。

~ストレスで、わたくしの無呼吸症候群悪化(笑)。

12月、いよいよ呼吸が苦しくて、わたくしの鼻中隔湾曲症の手術・入院。

 

2014年

3月、65歳定年で、おじさま顧問退職。

4月、ずーっと続けていた、スタッフ誕生日にお花を贈ること、マンネリ化で停止。

5月、静か~に迎えた11周年。

6月、実家の薬店を廃業。

その後、とある施設の処方箋を扱うようになって、その後は、

施設、

施設、

施設、

施設、

施設、

毎日、施設  (笑)。。。

しばらくぶりに、更新しようと思い立ったけど、ID、Passを入れる画面で、こんなかんじ(^.^) 。

今朝、その施設のご入居者さまの携帯から直接電話がありました。
よく聞くと、薬が入っていた袋を捨ててしまって飲み方が分からなくなってしまったと。。。
看護師さんも、ヘルパーさんもたくさんいる施設なのに、わざわざ電話をかけて御指名なんだからありがたいことですよね。

どんなにしっかりしているようでも、お部屋に薬をとどける方たちの年齢は軽く80歳超えの方ばかり。

わたしが何ができるか…

考えたけど、大したことはできないんですよね。

せめて、優しく、押し付けず、話し方に気を遣って次回も何なりと話しかけてもらう雰囲気を作るくらいかな。

さ、今日も、喜んで振り回されますか。