人生という時間

だいまるコラム

わたくし事ですが、父が数年前引退しました。

16歳のときに夜間高校に通いながら勤め始め、そのまま養子となり、以後勤続60年でした。

いつだったか、私がまだ子供のころ、食事時に、「自分は、貧乏の中から、ここまでできてもう十分満足」だといっていたことを記憶しています。

引退して、これから楽しい余生があるというころ、レビー小体型認知症といわれ、今日に至っています。

たまに頭脳明晰記憶力抜群(笑)になることがあって、そんなとき、人生って長かった?という問いかけをすると『 あっというまだった! 』 と即答され、びっくりしたことがあります。

私と父はふた廻りちがうので、イメージしやすくて、それこそ、これからが、あっという間の時間であるという事を意識する事があります。

そんな中、

昨日、恩師のお見舞いに行ってきました。

大学当時の教授は、御歳、85歳。もともと、お話し好きの先生です。昨日は、さすがにお疲れのようでしたが、よくお話ししてくれました。

どこに身を置いても研究と教育にとても力を尽くされた先生でしたが、努力しない人には手厳しいことをポンポンいう気骨のある方です。今回も、匿名でずいぶん教えていただきました(笑)。

さとうくん、仕事ができなくなったら生きている価値なんてないね!

自分の人生は、周りから助けられ支えられ、本当に楽しいもんだった。ホントにありがたい。

終活もずいぶんした。

(薬学部)6年制になって学生たちがかわいそう。

いまの、教員一人当たりの学生数を受け入れた人たち。そんな人たちだとは思わなかった。

などなど。あっというまの二時間でした。

人生が、短いのであれば、しっかりと生きよ。目的を自覚して生きよ。そう教えられたような気がします。若いころに、しっかりとした薫陶をうけて育った人と、そうではないひと。差がつくのは終活のころなんでしょうね。