古い薬剤師免許証

だいまるコラム

わたくしの、祖父の兄は薬剤師でした。

縁の方から資料を拝借しましたのでここに紹介したいと思います。

祖父の兄は佐藤宗助(Ⅲ) ※といいます。

さらに、遡って、祖父の父も養子縁組。その名前も佐藤宗助(Ⅱ) ※。

祖父の祖父の名前も、佐藤宗助(Ⅰ) ※。 ※    ( )の中は継いだ順。

つまり、祖父の兄も、祖父の父も、祖父の祖父も、宗助。
ややこしいです。

どうして?とおもって戸籍をとったところ、襲名というやつでした。旧制度の、家長は宗助を名乗ってたんでしょうね。

昭和9年に函館大火があって市役所の戸籍はほとんどさかのぼれませんがイメージだけはつかめました。

宗平=宗助(Ⅲ)

古い薬剤師免許証(及第之證)は、今のように厚生労働大臣の名前ではなく、陸軍の足立 寛 の印が押してあります。

北海道平民。なんか、古い感じがしますね。

宗助(Ⅲ)免許証   … 学説試験のあとに実地試験。当時はたいへんだったでしょう。

実家に、祖父(次男)の写真がありますが、この宗助お兄さん(Ⅲ)の写真とたいへん似ています。

このあたり血が濃いです。

佐藤宗助(Ⅲ)

宗平、宗次、三男は宗三郎。

宗平は 家を継ぎ、

宗次は 上磯で薬店をやり、

宗三郎は 谷地頭電停前 (海側)で薬店をやったようです。
最近古地図を見て発見しました。キク薬店。

谷地頭キク薬店佐藤宗三郎

【キク薬店】大日本職業別明細図1933年【昭和8年大火前】8月1日出版:東京交通茶社

残念ながら、大〇佐藤薬舗は宗助(Ⅱ)の死後、人手に渡ってしまいましたが、その後も建物は昭和九年の大火まではそのまま地蔵町52番地にあったようです。

さきほど、ネットで、函館地蔵町の小島大盛堂前から東側を撮った、総天然色(笑)の絵葉書をみつけました。

地蔵町(昭和初期大火前)

市電の線路があって、中央に電車(市電)がみえます。その右手の白い壁の三角屋根の建物は、このページの建物です。
真向かいが及能商工会社。現在の及能株式会社の住所は豊川町。~~地蔵町は、いまの豊川町なんですね。

左手のピンクの建物は 函館新 と、読めます。函館新聞社です。大火前の地図と照合したので間違いないとおもいます。

佐藤の姓は佐藤宗助(Ⅰ)から、養子縁組で今に至ってます。
宗助(Ⅱ)は、新潟から。
宗助(Ⅲ)は残念なことに他の家に養子縁組して改姓してしまったので、次男である私の祖父が佐藤を名乗ってます。
戸籍法も変わり、戸主が宗助を名乗る事もなくなりましたが、子供が無かった祖父は、わたしの父を養子縁組で佐藤の姓に入れました。
わたしも縁あっての佐藤なんですね。

宗助(Ⅰ)、宗助(Ⅱ)の位牌がうちにあります。子供のころから、なぜ、長男じゃないのにうちにご先祖様の位牌があるのか不思議に興味を持っていたことを思い出します。

今年のお盆、思い立って、昭和の初期に祖父が200円で購入したという仏壇と、家紋が入った位牌を収納するものを、修復することにしました。

買うよりはるかに高い修繕費ですが、これも私の役割なのでしょう。

勉強が、あまり好きじゃなくて、思いつきで薬剤師になった私です。

しかし、これも何かの縁に支えられて今があると思ってもう少し役割を果たしてみようかなと、思います。

 

GOOD NEWS です。

良い知らせというものは、忘れたころに届くものですね(笑)。

うちの薬局ではふつうの薬屋さんあるいはドラッグストアで販売してるOTC薬もおいていることは前に紹介しました。あれからおよそ1年後の今日、だいまる薬局から登録販売者試験の合格者が出たのです。

おめでとう。

アウトラインはこんな感じですが、傍から見ても難関だと思います。

  • 出願者数 1515人
  • 受験者数 1478人
  • 合格者数? 926人
  • 合格率?? 62.7%
  • 合否ライン 総合得点の7割以上かつ項目得点が4割以上

当人は、講習会などでは大変な努力を強いられてたようです。この合格は、たいへん喜ばしいことですし薬局を挙げてその努力を称えています。…また、カンパイか(笑)。

私を含めて「薬剤師」といわれるイキモノは、数十年前に偶然ウカッタ薬剤師国家試験に安穏としていることを由とせずに、日々自己研鑚しないと この試験?は解けません。
(午後の試験はこちら?)

薬局に勤務する薬剤師以外の職員は、ここに示す受験資格の項目をクリアすれば登録販売者の資格をとれる可能性があります。
個人的には、登録販売者は、薬剤師に次ぐ専門家としてくすり選択のアドバイスができることでいろいろ有利な展開を期待できると考えますので、資格取得を推奨しています。

水を差すようで申し訳ないですが(コラムなのでいいでしょう)、資格がアドバイスを可能にするのではなく、結局はアドバイスできるような人が資格を持つべきなのだと思っています。

もし、免許が無かったら…

none_img_column?  2005.03.10

このホームページを見てくださる方のなかには、免許証 ( 国家資格 ) を使って仕事をしている方も結構いらっしゃるのではないかとおもっています。
私が個人的に知っている、医師、歯科医師、薬剤師、看護士、鍼灸師の有資格者の方々なども見て下さっているはずですが、特定の〇〇さんに向けての話ではありません(^^)。

みなさんは、あまり、『 もし 』を考えることって無いでしょう。考えたとしても一般に「もしも」というのはあまり前向きな話でなかったりしますね。

でも、あえて、もし自分が免許に頼った仕事をしていて、その免許がある日無くなったら、いったいどうやって暮らしていけるか、また、どんな仕事ができるか。
つまり、つぶしが利くかどうか。
そんなことを考えたことはありますか?

私たち薬剤師を例にとると、

  • 「調剤行為」
  • 「投薬行為」
  • 「薬歴管理業務」

これらができません。薬局の開設者はできても、管理者を他にたてなければいけません。つまり、経営はできても運営はできないことになります。

包丁一本さらしに巻いて?ではありませんが、

「もし、あなたから、今、メシの種であるところの、その、さらしに巻いた免許証を取り上げたら、何が残りますか?」

免許の存在自体にあぐらをかいた他力本願的な仕事をしていないか、省みることは、ギョウカイ人たる医療機関に勤める人にとってはちょっとは意味のあることかもしれません。

特に薬剤師は、自分の免許を使って独立開業できる数少ない業種です。あなたが、もし、独立なんてコトをちょっとでも考える人なら、免許に頼る仕事をしていないかどうか、考えてもいいと思います。

何から何まで一人でやる覚悟なくして独立はありえないし、他力本願の体質ではなかなか。。。さらに申し上げると、薬剤師として「他力本願」的な仕事をしていては、「つぶし」はなかなか利かないものです。
店舗をきりもりする、ということは、ほかの仕事でつぶしが利く『ノウハウ』がたくさん詰まっていますが、「求めない人」にとっては、

  • まさに宝の持ち腐れ
  • 豚に真珠
  • 猫に小判
  • 馬の耳に念仏。

その「求めない人」の例として、調剤だけやっていればいいんだという薬剤師にもよく会いました。しかし、考えてください。すしだって器械が握る時代ですから、調剤ロボットができたらいったいあなたの仕事は何ですか? それでも薬剤師としてやっていけますか? って話になりかねません。
独立」というのは、このホームページのテーマのひとつですけど、免許に頼らない仕事をしている人には、必ずチャンスが巡ってきます。

たまに、だいまる薬局を手伝ってくれる私の大学時代の友達にS君がいます。大手の調剤薬局チェーンに勤める彼の仕事は、まさに免許に頼らない仕事だと思いましたのでここで紹介します。
とかく「手伝い」に来た店は、所詮手伝い気分になりがちなものです。しかし、彼は、自分の店のように慈しみ愛しむ「姿勢」なんです。投薬、薬歴、在庫、突発的な出来事への自主的な対応、患者さんへの真剣な気配り、清掃。おおよそ「やって」といわなくてもやる「姿勢」に私は感動し、なぜ ? と問いかけました。

その時の彼の言葉がすばらしかった。

「独立し、自分の店をやろうとするくらいの気構えの人間が、コレくらい言われなくてもやるようじゃなかったらオワッテルでしょう」
作業をしても給料はもらえるはずですが、しっかり自分で考えて仕事をしています。

チャンスは彼に微笑むはずですし、求める人には「必ず」与えられるでしょう。

もし、免許が無かったら… とは、免許が無くても通じる仕事をしているかどうかということなんです。

薬剤師の草冠(クサカンムリ)を取って、 『 楽剤師 』 を名乗ったほうが似合っているような仕事をしていませんか ?
問題意識はそう簡単には芽生えませんが、自分に負荷をかけるトレーニングで今なら間に合う人がたくさんいるはずです。