会社が無くなる日に思うこと

だいまるコラム

今日は、2017.3.31金曜日 です。

実は、本日は、株式会社だいまる薬局の最後の営業日です。

明日からは、社名が変わります。

よくぞ、13年と11か月、続いたものだと思います。初めまして、の初々しかったことを昨日の事のように思い出します。

開業の案件のお話を聞いてから、開業日まで1か月しかなかったこと

どんどんお金が無くなっていったあの不安感

転機となったきっかけ

人事が二転三転したあの頃

経営が安定してきてほっとした短い時間

自分の経営能力のなさに悶々としたとき

たのしい友の会の旅行

などなど、実に思い出の尽きない時間を過ごさせていただきました。

開業から今までの時間を通して思うことは、本当に周りに助けられた!ということ。自分一人で何かができると思っていた時もありました。でも、わたしは、本当に周りに助けられた。

感謝

感謝の気持ちでいっぱいです。

ありがとうございました。

先ほど、最後の終礼をしました。

会社名は変わるけど、薬局のスタッフ、中身、理念は少しも変わらない。

すこしだけこの理念を踏襲して、次の会社のカルチャーを早く吸収してほしい。

残るスタッフへの言葉で締めくくります。

ではでは、お世話になりました。

今後は、このホームページは閉鎖しますが、書き溜めた財産は公開できるよう準備中です。

これからも、うんちく、たくさん書きたいな。

会社が無くなる日に、そう思えるなんて、本当に幸せです。

 

古い薬剤師免許証

だいまるコラム

わたくしの、祖父の兄は薬剤師でした。

縁の方から資料を拝借しましたのでここに紹介したいと思います。

祖父の兄は佐藤宗助(Ⅲ) ※といいます。

さらに、遡って、祖父の父も養子縁組。その名前も佐藤宗助(Ⅱ) ※。

祖父の祖父の名前も、佐藤宗助(Ⅰ) ※。 ※    ( )の中は継いだ順。

つまり、祖父の兄も、祖父の父も、祖父の祖父も、宗助。
ややこしいです。

どうして?とおもって戸籍をとったところ、襲名というやつでした。旧制度の、家長は宗助を名乗ってたんでしょうね。

昭和9年に函館大火があって市役所の戸籍はほとんどさかのぼれませんがイメージだけはつかめました。

宗平=宗助(Ⅲ)

古い薬剤師免許証(及第之證)は、今のように厚生労働大臣の名前ではなく、陸軍の足立 寛 の印が押してあります。

北海道平民。なんか、古い感じがしますね。

宗助(Ⅲ)免許証   … 学説試験のあとに実地試験。当時はたいへんだったでしょう。

実家に、祖父(次男)の写真がありますが、この宗助お兄さん(Ⅲ)の写真とたいへん似ています。

このあたり血が濃いです。

佐藤宗助(Ⅲ)

宗平、宗次、三男は宗三郎。

宗平は 家を継ぎ、

宗次は 上磯で薬店をやり、

宗三郎は 谷地頭電停前 (海側)で薬店をやったようです。
最近古地図を見て発見しました。キク薬店。

谷地頭キク薬店佐藤宗三郎

【キク薬店】大日本職業別明細図1933年【昭和8年大火前】8月1日出版:東京交通茶社

残念ながら、大〇佐藤薬舗は宗助(Ⅱ)の死後、人手に渡ってしまいましたが、その後も建物は昭和九年の大火まではそのまま地蔵町52番地にあったようです。

さきほど、ネットで、函館地蔵町の小島大盛堂前から東側を撮った、総天然色(笑)の絵葉書をみつけました。

地蔵町(昭和初期大火前)

市電の線路があって、中央に電車(市電)がみえます。その右手の白い壁の三角屋根の建物は、このページの建物です。
真向かいが及能商工会社。現在の及能株式会社の住所は豊川町。~~地蔵町は、いまの豊川町なんですね。

左手のピンクの建物は 函館新 と、読めます。函館新聞社です。大火前の地図と照合したので間違いないとおもいます。

佐藤の姓は佐藤宗助(Ⅰ)から、養子縁組で今に至ってます。
宗助(Ⅱ)は、新潟から。
宗助(Ⅲ)は残念なことに他の家に養子縁組して改姓してしまったので、次男である私の祖父が佐藤を名乗ってます。
戸籍法も変わり、戸主が宗助を名乗る事もなくなりましたが、子供が無かった祖父は、わたしの父を養子縁組で佐藤の姓に入れました。
わたしも縁あっての佐藤なんですね。

宗助(Ⅰ)、宗助(Ⅱ)の位牌がうちにあります。子供のころから、なぜ、長男じゃないのにうちにご先祖様の位牌があるのか不思議に興味を持っていたことを思い出します。

今年のお盆、思い立って、昭和の初期に祖父が200円で購入したという仏壇と、家紋が入った位牌を収納するものを、修復することにしました。

買うよりはるかに高い修繕費ですが、これも私の役割なのでしょう。

勉強が、あまり好きじゃなくて、思いつきで薬剤師になった私です。

しかし、これも何かの縁に支えられて今があると思ってもう少し役割を果たしてみようかなと、思います。

 

薬剤師って今はバブル景気だね

だいまるコラム

薬局をやっている経営者が一番辞めたくなるときって、募集しても薬剤師が入ってこないときなんだって。そうやって、煽って薬局を売らせようと、がんばっている会社もある。なにが商売になるのかわからないものです。

今回は、私も、ちょっと困りました。

そんな時、薬局に薬剤師を紹介したり、派遣したりする会社がたくさんあります。でも、お支払する対価が結構お高い。ずっとそれを苦にしていたんですけど、人員を雇うための経費だよ と、あっさり、とある成功者の方に言われて開眼した次第です。

卒業が決まった薬学生の話をきくと、いろいろな給料に関わる緒条件の中からそれこそBESTの条件を出してくれるところにしたよ… のような状況みたいです。しかも、ひとりの薬剤師に募集が3?40件(笑)。

間違って逆に取られたらどうしよう。ひとりの薬剤師に、3?40軒の会社が群がってるってことですよ。

こりゃ有頂天になってオイラは医者と対等だ!とほざく薬剤師が出てきてもしょうがないかな。。。

経験のない人を甘やかすのはどうでしょうね。

でも、同じ条件だしたら、甘やかしてくれる方に行くんだから、これは、勝負にならない(笑)。

うちの薬局は、三匹の子豚の寓話でいえば一回目くらいで吹き飛ぶような小さな会社ですけど、何かいいところないかな。

(自虐ネタとして) 社員を甘やかすところかな。

こんな社員には、来て欲しくないという定番のページもありますが、宝物は今いるスタッフ。そして、10年かけて作り上げてきた『 ワシズム 』。患者さんの方向をいつも見て、サービスをしっかりするという基本を守れること。違法な事、イレギュラーなことに抵抗する信念。患者さんのためになっているという実感ができる環境。

ほかにも、厚かましく書こうとすると結構出てきそうなので自粛しますけど、休みがきっちりとれる環境を、この私が休みたいゆえに(^.^) 作ってきたこと!

薬局や病院などの医療職種で有休をしっかりとれるところがどれだけあるか。。。

『 証拠もない自慢の実績 』ですけど、この10年間で休みを取りたいと言われて嫌な顔したことないです。
これからは自信ないですけどね(笑)。にっこり笑って、ダメ!みたいな。。。
縁を大事にしていきたいです。