自分の仕事の範囲を決めるのはもったいない

だいまる薬局では毎日朝礼をしています。ネタ切れになろうと、何か伝えることはないだろうか、と探します。たまにハズしますが、10回に1回くらいは自己満足できるくらい濃い?話もします。日々の朝礼は、いつやめてもおかしくない内容かもしれません。しかし、共通の想いをもってもらうためにはそれはたぶん必要なことだと思っています。

もし、

毎日、

私が、

朝礼で、

話すことはありません。

とか、

今日は連絡事項はありません。

とか、

特にありません。

などと話したらどうなるかなといつも思っています。

問題提起がないときや、伝えることがないときに、「何かを伝える努力をする」のは私だけの役目だろうかといつも思います。

立場や、責任や、収入や、地位、などは、仕事に対する情熱(パッション)がある時に自然について回るんだけどみんなそのことをどう思ってるんだろうと、いつも思います。

自分の立ち位置をわからない勘所の悪い人も確かにいます。でも本人も周りも努力は必要でしょう。

自分は仕事ができると思っている人も、本当に自分は仕事の全体像をみて流れを調整する役目は果たしているか、反省は必要でしょう。

お金や、世間というものに対する判断はトップがしないとうまく舵取りできないのでこれはしょうがない。

だけど、ここまでは自分の仕事だけど、ここからは違うという線引きは誰がするのでしょう。

→大事なことですけど、ご自分自身でしょうね。

主体は、あくまでも自分自身です。自分が決めたことの結果が毎日出ている事に気が付いてほしいものです。

仕事は、与えられたもので、自分では選べないと思っている人はいませんか?
そういう人は、「ご自分でそれを選択している」事をよく理解しなければいけないかなと思います。
誰かがやれといったから、やっていると思っている人はいませんか?
そういう人は、シネと言われたらシヌのでしょうか。

仕事の線引きをしたり、仕事の範囲をおのずから決めてしまうことのもったいなさを感じ取ってほしいですね。

どんなに歳をとった人も、自分の何十年の経験を若い人に伝える役割りがあります。自分の行動の線引きや、行動の範囲をおのずから決めてしまうことは、本当にもったいない事だと思います。

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