会社を辞めるということ【2009年改】

none_img_column ? 2005.03.05

今まで何回も会社を辞めました

20年近く前、初めて勤めた会社で「辞めると言うこと」を当時の上司に伝えました。
初めてやめる事を経験したことで、感情があふれて涙、涙…。今では考えられないほど純粋だった自分がいました。

米国の商品を扱う会社でした。輸入した製品を日本のユーザーが使えるようにしていくことが仕事でした。仕事はとても楽しかったのですが、初めての人間関係や、同族会社としての経営体制などが気になって、「長くは勤められないなー」と漠然と思ったものでした。
いい上司か、悪い上司か、いい会社か、悪い会社か。

今考えると、自分にとって、居心地が悪いだけだったのかもしれません。

やめることが決まっていたのは、次に行く会社が決まっていたからです。もちろん、若気の至りで準備万端整えてというわけにはいきませんでしたが、当時扱っていた商品の競合メーカーから幸運にも声がかかって、自分の中では少々浮かれ気味の転職でした。

仕事は、米国で製造された商品を日本法人が販売する形だったので、商品の未熟さを除けばあまり不満はありませんでした。ただ、社会に出て2年ほどの経験の浅さでもわかる「商品の未熟さ」はいかんともしがたく、営業力でにおいて周囲から助けられながらの販売でした。

初めて勤めた会社で扱っていた商品も「ライバル」として頑張っていましたが、そのうち自分では今まで経験したことがないダイナミックな動きが本社で起こったのです。
M&A「企業の合併と買収」により、アメリカの本社が、その競合会社を買収してしまいました。

ここまでは、よくある話なのですが、自分にとって、あまり無いであろうと思われるのは、ここからです。

何を思ったか、日本法人の上層部は、元の私の上司をヘッドハンティングして受け入れてしまいました。

当時、はっきり言ってこの人とは 『 一緒にはあまり働きたくない 』 と思って初めての会社を後にし、数年働いたところに、その「元上司」は、私のいた事業部のトップ・事業部長としてまた「上司」になって来たのです。

まさに、サラリーマンは、上司を選ぶことができない!を地で行った話です。さすがにこの話題は「赤い糸伝説」と呼ばれ今日、笑い話として伝えられています。

会社を辞めると、何かが自分の中で変わると勘違いしてしまうんですね。また、何か自分の周りも変わって良くなると。 その「勘違い」になかなか気づかないまま転職を繰り返すことが多い。

つまり、自分が変わらないまま、器(会社)を変えても同じことが起こってしまう。早く気づきたいものです。当時も、ああ、彼は「外資渡り」だからね?、なんて話をよく聞きました。
イケイケどんどん、の時代は転職のたびに給料も上がるし、また、そんな転職を選べました。

振り返って、薬剤師も、薬剤師バブルと呼ばれるくらい需要のほうが大きいので引く手あまたの時代がありました。ついこの前まで過ごした函館も、そんな地区のひとつです。(?2003年)

でも時代は変わりますよ。品質が本物かどうかが判断の基準になるし、なぜ、やめたのかも評判になる。もっともこれは、雇う側も、雇われる側も同じですけどね。

いったん辞めると決めたら潔く辞めること。辞めることを給料をあげる手段として使うなんてもってのほかですし、自分の代わりがいなくて困るんじゃないか、なーんて思うくらいなら「そんな仕事を自分がしているか」どうかを考える謙虚さが必要。

また「クビ」といわれたら引きずらない。いずれも自分が辞めることに当たって持ってきた哲学です。

いやなら辞めろ、辞めないなら何かを変えろ。

それでもどうしても辞めたい人は、「次の会社に初めて出勤する日の朝」の自分を想像してみてください。

スキップしてしまうほど楽しい気分になれそうなら、その転職はOKです。
辞めることを人のせいにしていると、私のように赤い糸体験をしてしまうかも知れませんよ。

薬剤師の面接

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転職を考えている薬剤師諸氏の方々のなかには、いかに自分が仕事のスキルがあって、経験があるか、を滔々と述べる才能に恵まれた人が多いという話を聞きました。

自分が、いかにすばらしい才能の持ち主で、いかに患者さんとのコミュニケーション能力に長けているかという風呂敷を広げるものだから、ある社長さんは、とある女性薬剤師を高給で雇い入れました。

彼女は、調剤室に着任するなり、
この機械はだめ、
この器機はだめ、
このやり方はだめ、
あのやり方はだめ、
挙句の果てに処方箋の書き方がだめ、
医師の処方の組み立てがだめ、

と言い出す始末。

このとき、その社長さんは初めて気がついたといいます。

私が薬剤師じゃないから、仕事ができる人を選んだつもりで彼女を雇い、何もかも任そうと思ったのだが、これはちょっと間違っていた。
任せていたら、処方箋が来なくなる。
自滅する恐怖を感じた、と。

結局、この女性薬剤師さんには、お辞めいただかざるを得ませんでした。

さて、
人を選ぶ観点で、大事なのは、いつもいっしょ。

——————————
性質穏やかで、
周りと協調できて、
オレがワタシが、としゃしゃり出ず、
冷静沈着な判断ができ、
素直なへんじと気持ちよい挨拶ができ、
家庭生活が安定していて
自分よりまず人を立てられる
——————————

このように、『 仕事のスキルとは関係ない部分 』 が一番大切なんだってことです。

上記のような方は、Gパン、スリッパに T シャツで出勤したり、ピアスやコロンをつけたりしないものです。

人事の問題としては、薬剤師であることが大前提ですが、
『 プライド高くて性格悪い薬剤師 』、よりも『 免許はないけど、免許にかかわらない部分で、穏やかで冷静沈着な普通の助手さん 』 がいた場合、
組織全体としては、後者のほうがはるかに有意であることがあります。

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薬剤師よ。
ほんとうに免許があってよかった。
薬学部を卒業できたのは、自分のお手柄ではないですよ。
お父さんお母さんに心底感謝しなくてはいけません。

?

そうは言っても、法律で人員の枠が決まっているのが調剤薬局や、病医院の薬剤師の定数です。

そこに付け込んで高給を要求したりしていると、薬剤師バブルがはじけたとき他の薬局から、うちに来てくれ、なんていう声など かからなくなってしまうんでしょうね。
人生長いように思えるけど、実は短くて、
世間は広いと思っているほど、自分は広い世間に生きていない、とうことです。

ワタシは仕事ができる、あれも経験した、これも知ってる、なんてのは、もしそれが本当だったら
重宝がられるのは入職時まで。

それを境に、その性格が災いを引き起こす種になってしまいます。

賢者は歴史に学び、愚者は過去の経験に学ぶ、ということばが適当かどうか熟考していませんが、これを書いている私の気持ちとしては、そんな感じです。

そんなに暇だったらメシでも入ってください

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函館の有名な観光地近くの総合病院 『 G 病院 』 の門前薬局で働いていたことがありました。

タイトルは、そこの店長さんが私に言った言葉です。この方は、世間では立派な方と言うことで通っておりましたが、私の 「 偏見を持った眼 」 には
精神的に悩みがある方に違いないとうつっておりました。

私が思う店長さん像とは、
経営者の代理者として、会社のことを考え、
そこに働くひとびとの事を考え、日々忙しさの違う時間帯で、
人員の配置や、在庫の事や、こまごまとした調整に腐心するものです。

それは、「 店長になりたい 」といってなかなかなれるものではありません。
雰囲気作りに心を砕き、全ての責任を自分のものと受け止める 『 リーダー 』 であることを要求されるのですから、大変です。

—冒頭の薬局を辞めてから5年以上たつわけですから、私も執念深いのかもしれません (^^)が、もう少し書きます—

リーダーとしては、致命的なのは、上にへつらい、下に思いやりが無いということです。
また、手元を見すぎるあまり、全体の流れを見落とすことです。
これを繰り返すと、
「 そんなに暇だったらメシでも入ってください 」 という発想になるのでしょうね。

でも、それは、全くダメです。薬剤師である前に、店長である前に、そもそも人間としてダメです。
少なくとも私の基準では、ネコ以下だと判断します。

それなりの経験、それなりの年齢、それなりの給料。
でも、それでリーダーシップはとれません。

自分中心で物事を考えていてはリーダーにはなれません。
そして、リーダーには、トレーニングが必要です。
自分に課す負荷が他のヒトとは違うと思います。

 

最近、このホームページをみて 「 自分の経験だと調剤薬局で、いくらくらい給料をもらえるか 」 という問い合わせをいただきました。

薬剤師なら誰でも(ネコ以下でも)ほしい調剤薬局において、センセイ、センセイと、ちやほやされることに抵抗がなければ、相場以上の給料をもらえます。

でも私は、
リーダーシップがとれない薬剤師は所詮いいように使いまわされて利用されるのがオチではなかろうか
といつも思っています。
だから、今いるところで、辞めずにリーダーとなってみてはどうだろうと思いますし、
やってから、業務に意見が反映されないという文句を言ってほしい。
転職や、辞めることの意義をもっと考えてほしいですね。

苦労は買ってでもしろ、
自分にプレッシャーをあたえろ、
責任を負え、
率先してやれ、
これが自分を育てる力になるわけです。

私のサラリーマン時代に、その原動力が、年齢や、経験じゃないということがわかっただけ幸せです。