基本に帰る

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薬局では、調剤行為に間違いがあってはいけない
誰もが、そう思います。

当然そうあるべきなのですが、日々業務をしていくと実際には
いろいろ小さなミスや、重大な事例につながりかねない背筋が寒くなること、などが起こることがあります。

これは、どうしてでしょう。

業務を、こうして行きましょうという改善提案がなされると、
みんな新鮮な気持ちでそれに取り組みます。

でも、この新鮮さは、途中でお手入れをしないと、
それを保てないという性質があります。

 

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いつのまにか、決め事や、改善の肝(きも)のようなポイントが、
反故(ほご)になっているような事がありませんか。
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リスクマネージメントをする管理者としては、
それをいかに修正し周知するかを考える事が必要だとおもいます。
今日の朝礼では、そのお話をしました。

窓のさんを指ですっと拭いて、『 〇〇さん、これ! 』 とその指を見せるような朝礼で嫌なんですけど、このいやな事をしないと、わたしの役目が果たせません。
でも、なぜ、その事を伝えなければいけないか、をお話ししたつもりです。

重大な事故につながるようなサインを見逃してはいけないと思います。

基本に帰る。

その事は、薬局のあるべき姿に近づくために
絶対必要な事だと思っています。

2008.05.15

人間関係その他で会社を辞めたいと思ってる人へ

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新年度になりました。

毎年たくさんの学生や、また転職組などが新しい職場でスタートを切る時期ですね。
すばらしいことだと思います。

だいたい2-3週間も経つと、多少なりとも慣れてきて、
周りの風景も見えるころ、でしょうか。

ヤリガイを背中に生えさせた一部のひとをのぞくと、
こんなことを考え始めます。

ああ、つまんない
先が見えた
ここは居場所じゃないかも
やってらんない

コレ、昔の、わたしですか ? (^^)
ほとんどの人は、だいたい思うように行かないことを
人のせいにしますから、自分の事として考えない傾向がありますね。

つまり、こうです。

あいつが原因で、あいつのせいで、自分の仕事がうまく行かない。

それで、この状態が続くと、このあとしばらくして会社を辞める、ということになるわけです。

私の場合は、初めての就職から辞めるまで14ヶ月でしたから、
ある意味でわりと順調に辞めるに至った:-)ケースでしょうか。

でも、その14ヶ月の間に、自分が何ができたかを振り返る余裕が、おじさんになった今の自分にはあります。

どうだったか。

じつはですね、何もできなかった。

さらに自分が欠けたら会社は困るだろうとほんのちょっとでも思った自分の浅はかさや、わたしが辞めても、なにひとつ困らなかった会社の現実というものを、思い知らされたわけです。

会社は、そのポジションに本当にあなたが合っているか、なんて思ってはいません。
まして新卒ならなお更、そんなこと、ワカルワケナイじゃないですか。

会社にはたくさんの立場や、ポジションといわれるものがありますから、
いかに適材適所、少数精鋭などといっても限度があるのです。

会社がそんなあなたに望むことは、粘り強くそのポジションで工夫してくれる忍耐力。
(念のためにいいますが、私にはその粘りはなかったですよ)

粘り強くその職に当たる人を、時期が来て会社がほうっておくわけがないのですが、
そのガマンができなくて

  • 職があわないとか
  • 人間関係があわないとか

言い出す。

何かの本で、人間国宝みたいな方が、おっしゃってました。

  • 自分にその職がむいてるか、あってるかではなくて、
  • 自分がその職や仕事にあわせる事が大切だ ! と

小さな工夫が必要です。

仕事を面白くする工夫が必要です。

きっと運が向いてきたと思う時期が来ます。

人生は波です。
うねりです。
いつまでも同じ状態じゃないです。

イイコトが必ず来ます

どんとこい ! と思って続けてみてください。

他力本願でなはく、自力本願で行きましょう !

2008.04.22

自分で判断しないひとが増えている

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物事を右、左と決めることを、判断といいます。

瞬間芸のようなもので、悩もうが決めかねようが、
決めなければいけないことを自分で決めるのが判断です。

お役人とか、平社員とか、勝手に判断してはいけない、
といわれている人がいますけど、
ここでわたしが言いたいのは、『 頭が固いから自分で判断できない 』、のではなく、
あえて、自分で判断したくないから他人を頼るというヒトが増えてきているのではないか ? 
ということです。
子供が、学校に行く前に、今日は帽子や手袋をどうしようか決めかねるのは、
いまが、暖かいとか寒いとかはわかるけど、学校が終わって家に帰るときにどうなのか、
という判断がつかなくて、『 どうしよう?? 』 と聞いてくるわけです。

わからないことに直面したときに、おとうさん、おかあさん、先生、どうしよ?、

コレは子供だからしょうがないと思います。
でも、いい年齢になった上場会社の課長クラスの人が、
判断に困ることっていうのは、そうそうあるものではないはずです。

わたしからの他愛ないメールでの質問に、ある会社の札幌支店の〇課長補佐は、
本社の△課長さんにメールを出しました。

「 △課長へ

どう対応したらよいでしょうか ? 」 

?

伏字以外原文ママ

このことを、どうしてわかったかというと、
△課長さんあてのメールの送り先が、
わたしのアドレスになっていて、私に届いたから、です。

往々にして、『 自分で判断しないひと 』 のやることは、一事が万事、こんなものなのでしょう。
せっかく自分の頭があるのです。

自分で判断して、行動するクセをつけたいものですし、
またその判断基準を早く自分のものにしたいものです。

その後、上記のある会社の札幌支店の〇課長補佐からは、

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 本社に確認しましたが、やはり難しいようです。
 申し訳ございませんでした。
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と、回答をもらいました。

私は、お世話になりました、と返事を返したものの、
なんか消極人生の窮みを見たようなおもいがしました。

こんな人生では、最後に笑えませんから私はイヤです。
しっかり判断して自分の行動の結果として楽しい人生を享受したいです。

2008.04.09

一つのことに責任をもつ

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  • ?車を買ったり
  • パソコンを買ったり
  • 家を建てたり、
  • 薬局に関係するところでは、レセプト用のコンピューターを買ったり、調剤機器を買ったり。

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買ったり、買ったり、買ったり、と連呼してますが、これ 何のことかというと、
買うという行為は、信頼関係の構築に他ならないという話しです。

昨年末のある日、薬局の改装のことで見積もりをとりに来た
業者さんがいました。

ひと月たち、ふた月たち、あれ以来 一本の電話 もありません。
電話で連絡しますから、というから待っているわけで、最初からやる気が無いなら
こちらも待たなくてもいいんですよ。

頼むに値しない人たち、頼むに値しない会社というのは本当に存在します。

私には、「その人たちは、仕事を選んでいるんだろうな」と感じますが、
まあ、選べる仕事があるうちは幸せですね。

本当に 『 ある意味 幸せな人たち 』 ですけど、あまりお付き合いしたくないですし、買わなくて良かったなと思います。
でもこんな人たちも名刺もらってるのである意味実名で紹介したい…
こんな仕事の仕方、進めかたをしている限り、明るい未来はないでしょう。

私にとって、買うということは、信頼とお金と引き換えることです。
この人から買って、メンテナンスもめんどう見てもらえるかどうか、
そこがポイントな訳ですから、責任感あふれた人から 『 買う 』 に
越したことはないわけです。
もう一つ、示唆に富んだ話しを紹介します。

だいまる薬局は建てつけが悪いということを前に書きました。

直してもらったのが2006年5月、
その後、2006年冬を越え、2007年冬… 建てつけはまた悪くなってしまいました。
そんな中、ある設計事務所さんを紹介されて、戸の建てつけの修理を依頼。

2万円はかかるだろうなと過去2回の経験から腹積りしておりましたが、
結果は、これぞ大工仕事という丁寧さで感動に値する出来あがり。
なおかつ、価格は、私の予想の 1 / 4 でした !

一つのことに責任をもつ姿勢と、丁寧な仕事を買うことができて、さらに価格も安い。
その後、壊れてもまたその人に頼めるから大丈夫、という安心感。

物を買う決断をするなら、やはりメンテナンスを買うということですね。
薬局でも、たくさんの もの を買います。

さて、私の選択は間違っていないでしょうか。
私自身の、『 学習能力 』 が試されています。

?

2008.02.14

楽しさを享受する姿勢

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接してみて、ああ、このひとは、本当にいつも楽しそうだな?とか、明るさがあっていいな?、話してよかったな?、などと思える友人や知人がいませんか ? 

最近ある友人に会ってそんな事を感じました。
そして、 『 毎日が楽しいと思えるのは `結果` ではない 』 と強く思いました。

そうかと思えばそれとは対照的に、

  • 顔は苦渋に満ち ( 多分本人にその気はない ) 、
  • 口を開けば愚痴やつらいことを訴え ( 共感を回りに求める傾向あり ) 、
  • そしてひとりにするとため息をつく ( けっこう遠くまで聞こえちゃうんだよ )。

こんな知り合いもきっといるのではないでしょうか。

※ ため息一回、幸せの権利一回放棄ですね。

暗いと不満をいうよりも、進んで明かりをつけましょうとは、聖書のことばですが、そんな人にはぜひ贈りたいものです( 笑 )

いかに自分の状況を切々と周囲に訴えても、状況の好転にはつながりません。( watashimo kako soudatta )

私の場合は、よい先輩に恵まれ、
先輩のポケットからいろいろな生きる指標をいただきました。

『 最後に笑う 』 これは、そのひとつです。
これをいただいたお陰で、ほんの数年前のどん底の境遇にも
なんとか耐えられたのだと思っています。

その方は、当時40才台前半で、私から見ても相当な逆境でした。
でも? 『 最後に笑う 』? とは、ご本人がそんな逆境の真っ只中のときに
私に教えてくれた教訓です。
話は戻って、先日会った友人の話。
ほんとうに、〇〇くんは楽しそうだね?、お酒が入って興が乗ったとき
そんな話になりました。

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「 オレ ? 楽しいよ。でもね、楽しさは自分から取りに行くの。 
人生、楽しもうと思ってるから。 」

さすがですね。
楽しさは自分から求めて得るものだ!
まさにその通りだと思いました。
経済的にはけっして最大限ではないはずですが、心の豊かさは、まさにマックスパワーです。

どんなに今がつらくても、経済的に恵まれていなくても、最後に笑う姿勢や、楽しさを自分から求めていく姿勢は忘れてはいけないと思います。

笑え笑え
愚痴るな
転んでも泣くな
たくさん飲んで食べろ
旅行しろ

何をやっても楽しいのは、それは結果ではなく、「 そんな自分になると自分が決めた 」からだと思うのですがどうでしょう。

人生楽しんだものが勝つといいますが、楽しむ権利は全員がもっています。
権利を使う鍵は、楽しさを享受する姿勢を自分でとることに他なりません。

2008.01.18