効果はここから始まる

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薬局内で 接遇に関する研修会をした ことは前にお知らせしました。??

選ばれる医療機関になるにはどうしたらよいか、という命題のもと、講師の先生からヒントをたくさんいただいたと思います。

この接遇研修をするにあたっては、
『 だいまる薬局に籍をおいた人は、事情があって他の会社に移ったとしてもここで得た何かを持って移って欲しいという思いを持って会を設定しました。

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ほとんどの薬局・調剤薬局には、事務職員と薬剤師という資格を持った職員が存在します。
これは車輪でたとえれば両輪であって、前輪・後輪の区別はありません。

資格のあるなしに関わらず、おなじ患者さまをみる。
私たちがみなくてはいけないものは、文字情報のかかれた紙 ( 処方箋 ) ではなくて、患者さまその人です。

薬局のスタッフはサービス業であることを認識した上で、患者さまが、何を求めているかを瞬時に察する、そんな能力や勘どころを養わなければいけないはずです。
研修会の効果もこんなところに目標があると思います。

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薬のことがわかるけど、それ以外に気配りをできないスタッフ。

薬のことがわかり、隅々にまで気を配ることができるスタッフ。
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前者と後者をくらべたら、( どんなへそ曲がりの人でも ) 後者がいいということはおわかりいただけるでしょう。

私たちが薬局で働くことは、勘どころを養い、お互いを思いやりながら仕事をすることを通じて、毎日を楽しくしていく工夫をするということではないでしょうか。

2008.09.18

自分は仕事ができると思っていませんか?

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オレがオレが、ワタシがワタシが、と自信たっぷり、ヒトの批判は完璧で、積極的なのはよいけれど、結果が全然ついてこないというお粗末な話、身の回りにありませんか ?

自分は数限りなく(笑)転職を繰り返しましたが、
周りが物足りなく見えることがたくさんありました。

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コレは、反省です。
自分が 『 できる 』 と思っていたから。
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実際には、「周りが」物足りないのではなくて、
足りないのは、自分の経験と思慮、知恵、なんですよ。
そんな場数を繰り返した自分で言うのもなんですが、
そんなときは周りから本人は浮いてます

周りが見えなくて、周りとのバランスがとれないのだから、まあ、浮いて当然なのですが、当の本人にはわからないというのがこの話の肝(キモ)です。
テレビのバラエティー番組を見ていると、ほぼ全問不正解でトンチンカンな回答を繰り返すのだけど、自信たっぷりで、滑稽な感じを与えてくれるバラエティー番組の出演者、に似ています。
いったい、あの自信はどこから出てくるのだろうかというのは、両者を見て共通する疑問です。

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6年前にパートで勤めた地方の薬局の事務職員にこんな子がいました。

患者さんが入ってくると、(そこは新患が多いのですが)、ぶっきらぼうなもんきり口調でこれに書いてください、と問診表を与え、あとはかけてお待ち下さい、と言い放ちます。

アレが出ていないコレが出ていないという患者さまにはまるで文句を言うな口調で対応。

時間がかかる、軟膏の予製と容器詰めは、おおよそ、その作業中社長の噂話で終始します。

料金計算は確かに速いけど、接客はお粗末。
感情をすぐに表面に出し、足音が大きくなります。

そして、薬局の狭い空間を肩で風を切るような身のこなしで動き回ります。
患者さんで薬局が混んで来るとやり放題の散らかし放題に。
錠剤の輪ゴムのかけ方も雑になるし、ひとの話は聞けなくなるし、思い込みで動くし。

本当のところは、仕事ができるのではなく、
仕事ができると思うことができる人、でした。

でも自分というものが、かわいくて、仕事ができるという、【 プライド 】 だけは異常に高いのですね。

当時この薬局で私がパート薬剤師をしていたのは16時から20時過ぎまででしたが、ここで仕事をすると、その反動で消耗しました。

しばらくして彼女は、自分はこんな安い給料でこんなところにいる器ではないと思ったようです。
(口に出して言ってましたね)
しかし、自分がやめたらこの薬局の仕事は成り立たないし ( 苦笑 )、といいます。

結局、社長に辞めてやると話したら、慰留されるどころか、すぐに辞めてもよいと喜ばれてこの話にオチがつきました。
いざとなると、ちょっとショックだったようです。

安くても正職員でしたから。
当時もいまもこんなご時世ですしね。

自分は仕事ができると思っていませんか? ?

もし、そんなことを思っているなら、笑われますよ。

若いうちの転職なんて、たいしたものを持って歩いちゃいないんです。
謙虚に、反省や調和という言葉を携えて仕事をしたとき、やっとご自分の周りから、
あのひとは仕事ができるよねという評価を頂戴できるようになるんです。

そんなご褒美のような評価が得られるまでは何歳で転職しても新卒と同じだと思うような謙虚さが必要ですね。

私は、今なら、転職しても、もっとうまくできると思うんだけど
これから先の人生においては転職はしないように心がけます。

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2008.08.06

当薬局では薬剤師を 『先生』 とは呼びません。

あたりまえのことだと思っています。

  • だいまる薬局には 「偉い人」 はいません。
  • 偉い人がいないから 「先生」 がいません。
  • だから誰も先生とは呼びませんし、頼んでも呼んでくれません(笑)。

しかし、とかく 「薬剤師が偉い」 薬局が多いものです。

だいまる薬局の雰囲気を壊すものは、無責任な偉い人の存在なのです。

そうならないように薬局の仕事の方向付けをしていくのが舵取りたる代表者の仕事です。

薬剤師が自尊心を持つのはいいのですけど、結果としてその人が「偉い」わけではないのです。プライドは他人に対してひけらかすものではなく、自分の仕事に対してもつものだとおもっています。

ですから、当薬局では薬剤師を 『先生』 とは呼びません。

私たちの視点が、患者さまを 『指導』 することにならない ような雰囲気作りをするように心がけています。

2003.08.04

苦労は買ってでもしよう

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苦労は買ってでもしましょう。
目をつぶって思い起こしてください。

  1. 今まで宴会や、旅行など行事の 『 幹事 』 をした事がありますか ?
  2. また、急に優先度の高い用事が入って、その行事をドタキャンしたことはないですか ?
  3. キャンセルはしないけど、幹事からの問い合わせで行事を簡単に断ったこと、ありませんか ?

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私は
1)、2)、3) 全部 YES です。
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別に私からの説教じゃありません(笑)

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さて、どうして、幹事みたいな
手間ヒマがかかることをやれというのか3つの観点からみてみましょう。

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幹事の効用 – 1 –
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幹事には、まず、企画・立案・調整・斡旋 などの能力が問われます。
また、それを遂行するにあたってけっこうな苦労もあるものです。
自分の時間も犠牲にすることになるでしょうし、参加者の見なくてもよい一面を見ることになったりする、なんてこともあります。

それでも、みんなのために、という一念が心を支えます。
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幹事の効用 – 2 –
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そして、幹事をやると、社内、社外に関わらず、多数の中の自分という距離感を自覚できます。
そして、積極的に自分が前に出ないと話が進まないということを実感できるはずです。

壁をぶち破るきっかけになった、何て話を耳にしませんか ?

 

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幹事の効用 – 3 –
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最後に
幹事を経験すると、どれだけドタキャンが罪な事かがわかります。
( しかしながら、他人のドタキャンを指摘しないという度量が身につくかも … )

確実に、自分自身のドタキャン率は減ります
ドタキャンをするのはある種の癖ですから、気づきが得られるのだと思います。

 

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はっきり言って、幹事は苦労
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でも苦労は買ってでもする、の例えどおり、
幹事のような面倒くさい仕事は、そうです、自分からやってみることが大事です。

『 私やります 』。

このひとがいないと話がまとまらない、と周囲から思われるような名幹事ぶりを発揮されると、その人の人格まで高くなったような思いがします。

あなたが幹事をしてくれて、あなたのおかげで助かる。
そう思われてみたくないですか。

2008.08.02

医療法人敬仁会 函館おしま病院理事 長浜さん

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7年ほど前の2001年、現函館おしま病院理事 長浜康平さんと初めて会いました。渡島病院から、函館おしま病院へと組織が変わっていく過渡期でした。

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現院長の 「 ホスピスを函館に作る 」 という強い想いのもと、長浜さんの果たした功績は、あまりにも大きく、あまりにも素晴らしいものでした。

私がかかわったのは枝葉のほんの切先にすぎませんが、長浜さんが関わったのは、大きな幹の部分でした。時にうらやましくも、自分にはできない実務でのご活躍でした。

事務長として、どんどん辞めていく旧職員の退職金の手当てや、病院組織の改革、病院機能評価受審の準備、補助金の交渉などなど、その忙しい仕事ぶりは、将来へ道筋をつけるという信念があればこそ成し遂げられたものだったと確信しています。

体調を崩した連絡があり、先日、5年ぶりにお見舞いと称して、お顔を見ることができました。

私がお見舞いに向かったのは、ご自身がバックアップして作り上げたそのホスピスです。

開口一番、『もっと前にはいっておけばよかった。自分がかかわったホスピスに入るのは、はばかられた。
でも体調が本当につらかった。 病院の理念『 癒し癒される心からの医療』については、自分がこのホスピスに入って、はじめて 「 癒される 」 、ということがわかった。 』 と、こうおっしゃいました。

前日まで、痛みで食べ物も食べられず起き上がることさえできなくなっていたのに、このホスピスの痛みをとる技術、癒しの心は本物だ、と手放しの褒めようでした。
実際、長浜さんと話ができた小一時間の間、満面の笑みを通してくれました。
その笑顔は、快復への少なからぬ期待を感じさせるものでした。

癒されたのは、こちらかもしれません。
その長浜さんが、
本日 2008年7月23日水曜日 眠るように息を引き取られたという連絡が、先ほど入りました。

謹んでここにご冥福をお祈り申し上げます。

長浜さん、お疲れさまでした…
ゆっくりお休み下さい。

2008.07.23