残念な人

だいまるコラム

人間観察が好きです。

ひとにとっても興味があります。

特に35歳を超えたあたりから、その人が生きてきた生き様というか、証拠というか、考え方などがもう、オーラのように漂うものだと思っています。

顔もそうであれば

言葉もそうです。

言葉には、言霊が宿ります。(見た事が無いので、そうらしいということにしてください)

その発言は重くこの人ってこんなこと考えていたんだね、というのが時々わかります。

素晴らしい人の言葉は、心を打ちます。自分の人生を鼓舞されたような気にもなります。

 

残念ながら、あらあら、とう時もあって

そんなとき、この人って、ああ、残念な人だったんだなと感じるわけで…

そんなたとえようのないがっかり感を感じた時、私は叫びます。もちろん心の中でですが…

おれの魂を奪うのはやめてくれ~(笑)

とね。

仕事はどう進めるか

だいまるコラム

先日の朝礼で、仕事とは、「次のヒトにバトンタッチするもの」という話をしました。

自分一人の薬局なら、なんにも考えず自分がやりたいように好きなようにやればいいですね。

でも、他にかかわってくる人がいればいるほど伝達が必要なものだと私は思っています。

薬局の使命は、患者さまに薬を供給する事。

ということは、患者さまから処方箋を受け取ってから薬を渡すまでの流れは、まさに人から人へのバトンタッチで成り立っているわけで

状況の独りよがりな解釈や、情報の伝達を阻害する「言葉足らず」はやっぱりダメなんです。

ダメなものはダメなのである。

自分に負荷をかけてますか?

薬剤師は、とかく「暗い」人種、と言われがちです。

その理由を考えてみると、人を相手にしているのか、ものを相手にしているのかという事に行き当たります。
だいまる薬局では薬局はサービス業として定義していますから、少なくともそこで働く人はヒトを扱っているという思いがどこかにあるはずです。

  • まず店内に入ってきた患者さまの名前を反復してみる。
  • その患者さまがどんな薬を飲んでいるか?
  • 前回どんな話をしたかを思い出す努力をしてみる。

そんな負荷を自分に対してかけてみるのも悪くは無いとおもいませんか?

自分のなかで
『 ここまで !? 』 と線を引く仕事ってつまらないものであるという感覚を大事にしたいと思います。

そもそも、私は薬剤師ですが、何を「売り」にできるのか改めて考えるのもいいと思います。聞かれなければ、そう問われないと、なかなか考えないものですしね。

最近、そんな機会に恵まれました。
だいまる薬局の得意なものって何ですか ? と問われ、 『 精神科 』 に強いです、と強がってみました。
『 患者さんを怒らせないことです 』 と、また強がりました。
ほんの少しの経験を誇張(^^)するとき、これから実際にそうなってなければウソつきですから、これもそうなろうと、負荷をかけることになります。

背中をぽんと押されたら、走り出すべきです。結果がついてくると信じるのも悪くないですから。