トイレまでは監視できないです…

 

 

 

 

ある日のお掃除当番から

普段、トイレにおいてあるトイレクイックル(ケース付き)がなくなっていると報告を受けました。

まさか、とは思いません。

私が思いもよらないものが? 「 過去にもなくなっている? 」 からです。

札幌の地下鉄構内のトイレットペーパーが? 30年ぶりに復活したニュース? をふと思い出しました。

 

以前、コミーの? ミラーをつけた記事? を書きました。

きっかけは備品の盗難でしたが、さすがに今回、トイレになにかを取り付けるわけにもいかず、さっそくトイレクイックルは購入して補充。

ただし、保管は別場所で行いましょう、 ということになりました。

2012年5月。今日も朝の勉強会です。

 

 

 

 

本日は、今週二回目の朝の勉強会。

なんだか、みなさん、がんばってます。
もちろんMRさんも朝からおつかれさまでした。

参加11名 9:00-9:30

本日の勉強は、エーザイさんのこのくすり

ルネスタ錠、睡眠薬です。

勉強会が始まるまえの朝礼で、学習忘却曲線 の話をしました。 学習したつもりでも復習しないと忘れちゃうというお話。

これを学生のときに知っていたら!もっと違った人生展開があったかもしれません。。。

自分のことを何と呼ぶか。

 

 

 

 

わたくしが、私自身のことを、私(わたくし)、あるいは私(わたし)と呼ぶようになったのはいったいいつからだろうか。

定かではないのですが、オレ、とか、ボク、とか、ワシなどなどと呼ばなくなってから もう数十年 は経つだろうと思います。

確かわたくしが就職するころに読んだ本に? 『? 男は20代に何をなすべきか? 』? というタイトルのものがあって、この中の一節にまず自分のことをわたくしと呼ぶことだと書いてあったような気がします。リンクまで張っているのですが今現在わたくしの手元にこの本はなくうろ覚えの記憶に頼って書いています。

人前で、父親を、 『 ちち 』 、母親を、 『 はは 』 と呼びだしたのも、このころだったような気がしています。

周りには、うちの母が、うちの父がとフツウの会話でそう言う人は確かにすくなかったし俺が、僕が、という人は確かに多かった。

どうってこと無いような話ですが、学生を終え、就職して社会に出るということは言葉づかいを少し改めることから始まったんだなという回想です。

 

じたばたしない

 

 

 

 
過去に勤めていた薬局での出来事。

患者さまが一度に数人まとめて薬局に入ってくる。

やることは、たくさんあります。

  • 受付
  • 引換券の発行
  • 薬歴を出して
  • 処方箋を入力
  • 錠剤・散剤・水剤・外用剤を揃え
  • まとめて監査
  • 投薬して

一人分終了。この流れはだいまる薬局も同じです。

これを受け付けた数だけ繰り返すと、後から来た人は とんでもなく待たされることになるので それを避けるために混んでる食堂と同じく、薬は並行して作っていきます。

そのためには
誰か (ふつうは店長さん) が、俯瞰的に物事の進み方を見て、誰が何をしているかを把握する必要があります。
いわゆる、山を崩す、仕事をしていくわけですね。

ところが、先のお店では、店長さんが浮足立つ。じたばたするんです。

すると、周りが引きずられてそわそわしだします。そわそわはさらに伝搬します。時には患者さまにも。

さて、何が事故を引き起こす原因なのかおわかりでしょうか。患者さまがたくさん一度にたくさん来るから?

誰かに笑われますよ。

店長さんのキャパが低いこと。いいかえると懐が浅いこと。能力が低いこと。

店長さん (あるいは調剤薬局の薬剤師全般といってもいい) に必要な事は、

  1. どんなに混んでも、大地にどっしり足をつけて動じない事
  2. 周りの雰囲気を察する事
  3. 声を荒げない・流れを滞らせない・足音を大きくしない事
  4. あせらない、イライラしない、気ぜわしくしない、肩で風を切らない事

自分ができる人であると自負があるならば、よけいにそうしてはいけない。

ぜひ、他人事(ひとごと)とは思わずいつも「ワガコト」として考えたいことです。

 

最後にわたくしが大好きな 『 清水藤太郎調剤規範 』 をもう一度紹介します。
薬局・薬剤師がどうあるべきかというビジョンを示したものでサービスとテクニカルの両面について記している貴重なものです。