ダメなものはダメ。

だいまるコラム

人生のほんのちょっとの間ですが社長やってます。

まだまだひよっこです。

でもね、社長をやったことがある人と、社長やったことのない人の間にあるミゾについてはこれでもかと思うほど感じることができました。

決定打はなにか!  これ、ですよ、これ。 (これを見た人は、必ずクリックしてほしいです。目からうろこです。)

やっぱよく見てる人はいるんだなあ。

気づかされるなあ。。。

気づきがない人間はダメだなあ、とおもう一瞬の積み重ねなんだけど。

ダメなものはダメなんだなあ。。。

うんうん。

 

振りかえって、ママさんの言葉も身に染みるなあ。

あなた、冷凍庫は、凍らせるもの、冷蔵庫は冷やすものなんだから

うんうん、そうだよなあ。

巷のサラリーマンには、忘年会をやるといったときに

『  会場までの交通費は出るんですか? 』

とか、

『  残業代出るんですか  』  とは言ってほしくないなあ。

そんな人は、自分のスキルアップの勉強会の参加費を会社頼みにしたり振替休日請求したりするんだろうなあ。

初めて東京のとある勉強会に参加した時、参加費は自前であたりまえ、有給休暇とって3日間の座学に参加したという人の話を聞いた時も目からうろこだったなあ。自己責任って大事なんだなとおもいましたよ。

そう、ダメなものはダメ、ならぬものはならぬ。

働く人(いわゆるサラリーマン)には、それを早くわかってほしいなとおもいます。

おねがいだから、早く気づいてほしいです。

自分のことを何と呼ぶか。

 

 

 

 

わたくしが、私自身のことを、私(わたくし)、あるいは私(わたし)と呼ぶようになったのはいったいいつからだろうか。

定かではないのですが、オレ、とか、ボク、とか、ワシなどなどと呼ばなくなってから もう数十年 は経つだろうと思います。

確かわたくしが就職するころに読んだ本に? 『? 男は20代に何をなすべきか? 』? というタイトルのものがあって、この中の一節にまず自分のことをわたくしと呼ぶことだと書いてあったような気がします。リンクまで張っているのですが今現在わたくしの手元にこの本はなくうろ覚えの記憶に頼って書いています。

人前で、父親を、 『 ちち 』 、母親を、 『 はは 』 と呼びだしたのも、このころだったような気がしています。

周りには、うちの母が、うちの父がとフツウの会話でそう言う人は確かにすくなかったし俺が、僕が、という人は確かに多かった。

どうってこと無いような話ですが、学生を終え、就職して社会に出るということは言葉づかいを少し改めることから始まったんだなという回想です。

 

会社を辞めるということ

none_img_column?? ? 2005.03.05

今まで 何回も会社を辞めました 。

1986年春、初めて勤めた会社を辞めると言うことを上司に伝えました。
初めてやめる事を経験したことで、感情があふれて涙、涙…。
今では考えられないほど純粋だった自分がいました。

米国からの輸入商品を扱う会社でした。
輸入した製品を日本のユーザーが使えるようにしていくことが仕事でした。

仕事はとても楽しかったのですが、初めての人間関係や、同族会社としての経営体制などが気になって、「長くは勤められないなー」と漠然と思ったものでした。

いい上司か、悪い上司か、いい会社か、悪い会社か。
今考えると、自分にとって、居心地が悪いだけだったのかもしれません。

やめることが決まっていたのは、次に行く会社が決まっていたからです。
もちろん、当時は準備万端整えてというわけにはいきませんでしたが、当時扱っていた商品の競合メーカーから幸運にも声がかかって、自分の中では少々浮かれ気味の転職でした。

次の仕事は、米国で製造された商品を日本法人が販売する形だったので、商品の未熟さを除けばあまり不満はありませんでした。
ただ、社会に出て2年ほどのわたしの経験の浅さでもわかる「商品の未熟さ」はいかんともしがたく、営業力で苦労しながらの販売でした。

前述の、初めて勤めた会社で扱う商品も 「 ライバル 」 として頑張っていましたが、そうこうするうち自分では今まで経験したことがないダイナミックな動きが本社で起こったのです。
M&A「企業の合併と買収」により、アメリカの本社が、その競合会社を買収してしまいました。

ここまでは、よくある話なのですが、自分にとって、あまり無いであろうと思われるのは、ここからです。

何を思ったか、私の転職先である日本法人の上層部は、元の私の上司をヘッドハンティングして受け入れてしまったのです。

当時、はっきり言って「一緒にはあまり働きたくない」と思って初めての会社を後にし、数年働いたところに、その「元上司」は、私のいた事業部の事業部長としてまた「上司」になって来たのです。

まさに、サラリーマンは、上司を選ぶことができない ! を地で行った話です。
さすがにこの話題は「赤い糸伝説」と呼ばれ今日、当時を知る人の間では、笑い話として伝えられています。

会社を辞めると、何かが自分の中で変わると勘違いしてしまうんですね。
また、何か自分の周りも変わって良くなると。
その「勘違い」になかなか気づかないまま転職を繰り返すことが多いわけです。

つまり、自分が変わらないまま、器 ( 会社 ) を変えても同じことが起こってしまう。早く気づきたいものです。当時も、ああ、彼は「外資渡り」だからね?、なんて話をよく聞きました。
イケイケどんどん、の時代は転職のたびに給料も上がるし、また、そんな転職を選べました。
振り返って、薬剤師も、薬剤師バブルと呼ばれるくらい需要のほうが大きいので引く手あまたの時代がありました。
ついこの前まで過ごした函館も、そんな地区のひとつです。(函館薬剤師会の方、ごめんなさい

でも時代は変わりますよ。
品質が本物かどうかが判断の基準になるし、なぜ、やめたのかも評判になる。
もっともこれは、雇う側も、雇われる側も同じですけどね。

 

いったん辞めると決めたら潔く辞めること。

 

辞めることを給料をあげる手段として使うなんてもってのほかですし、自分の代わりがいなくて困るんじゃないか、なーんて思うくらいなら 「 そんな仕事を自分がしているか 」 どうかを考える謙虚さが必要。
また「クビ」といわれたら引きずらない。いずれも自分が辞めることに当たって持ってきた哲学です。

 

いやなら辞めろ、辞めないなら何かを変えろ。

 

それでもどうしても辞めたい人は、 「 次の会社に初めて出勤する日の朝 」 の自分を想像してみてください。

スキップしてしまうほど楽しい気分になれそうなら、その転職はOKです。
辞めることを人のせいにしていると、私のように赤い糸体験をしてしまうかも知れませんよ。