ダメなものはダメ。

だいまるコラム

人生のほんのちょっとの間ですが社長やってます。

まだまだひよっこです。

でもね、社長をやったことがある人と、社長やったことのない人の間にあるミゾについてはこれでもかと思うほど感じることができました。

決定打はなにか!  これ、ですよ、これ。 (これを見た人は、必ずクリックしてほしいです。目からうろこです。)

やっぱよく見てる人はいるんだなあ。

気づかされるなあ。。。

気づきがない人間はダメだなあ、とおもう一瞬の積み重ねなんだけど。

ダメなものはダメなんだなあ。。。

うんうん。

 

振りかえって、ママさんの言葉も身に染みるなあ。

あなた、冷凍庫は、凍らせるもの、冷蔵庫は冷やすものなんだから

うんうん、そうだよなあ。

巷のサラリーマンには、忘年会をやるといったときに

『  会場までの交通費は出るんですか? 』

とか、

『  残業代出るんですか  』  とは言ってほしくないなあ。

そんな人は、自分のスキルアップの勉強会の参加費を会社頼みにしたり振替休日請求したりするんだろうなあ。

初めて東京のとある勉強会に参加した時、参加費は自前であたりまえ、有給休暇とって3日間の座学に参加したという人の話を聞いた時も目からうろこだったなあ。自己責任って大事なんだなとおもいましたよ。

そう、ダメなものはダメ、ならぬものはならぬ。

働く人(いわゆるサラリーマン)には、それを早くわかってほしいなとおもいます。

おねがいだから、早く気づいてほしいです。

育たない人は、時間が解決しない【2009年改】

none_img_column 2005.10.20

以前このコラムで、こんなことを書きました。

働くとはどういうことか 2005.7.11】
—何か結果を出すには、ある程度の時間がかかるということなんです。めげないで、腐らないで、毎日を地道に過ごす努力をしてみてください。きっといいことが自分の周りに起こることを信じて進んで見るという努力をしてください。—

 

世の中には二つのタイプがいるようです。

  • ひとつは、「自分の仕事を自分の責任で行う」タイプ。
  • もうひとつは、「ただ漫然と会社に行くこと自体が仕事」というタイプ。
  • 突き詰めていうと、「行動する人」と、「行動しない人」、でしょうか。

さらにタイプ分けすると、笑い話のようですが、

  • 「それがわかる人」と、
  • 「それがわからない人」。

自分は小さいながらも会社を経営することを通じて、いろいろな人を見て、

  • どうして積極的に動かないんだろう?
  • この人はどうして相手の気持ちがわからないんだろう?
  • どうして言われたことしかやらないんだろう?

と思うことが多々あります。
その答えのひとつが、経営者と労働者の決定的な違いだったんです。
自分自身、いろいろな情報を得ますし、取捨選択をする努力もします。たくさんの情報の中から自分が本当に必要な情報を得るために大事なことだと思います。
その方法のひとつは、インターネット配信のメールニュースです。
【2009年注:メールニュースの配信は終わってしまいました】
その中にこの文章を見つけたときは、ちょっと小躍りする思いでした。

「 ああ、そうか?。 」 と納得したものです。

ちょっと長くなりますが、先方の了解を得ていますので、全文引用します。

—-ここから引用—-
会社の経営者は普通の人には考えられないぐらいの時間を仕事に費やす。これは自分の会社に限ったことではない。一日8時間労働なんてことは決してありえない。それに対して見返りを求めているかというと、そうでもない。もちろん一般社員よりは良い給料をもらっていることは確かだが、給料がそのモチベーションになっているとは言えない。会社には、誰がつけたという訳ではないが、経営者と労働者という線が引かれて来るのだ。その線を越えた時点で、ものの見方も変わってくるし、つきあう人たちもかわってくる。この線を明確にすることは最近の経営では良くないとされているが、どこの会社でもこの線は結構明確に見えるものだ。

経営者として会社で働く人たちは、仕事が好きだ。難しい仕事にはチャレンジしたいと考える。まるで麻薬のように新しいことにチャレンジをしてゆく。それは労働者には理解できない行動だ。労働者は、同じ給与なら楽な仕事を選ぶ。だから、労働者には経営者の行動が理解できない。なぜ家庭を無視してまで会社で苦しい仕事をするのか。労働者には、それがお金以外の理由があるということが理解できないのだ。マラソンを走る人たちが、走らない人から理解されないのと同じ事だ。

これと同じように経営者は、労働者を理解することはできない。なぜ、がんばらないのか。なぜ、仕事に打ち込めないのか。自分たちの考えを労働者にも理解してもらおうと努力することが多いのだが、これは不可能なことだ。労働者から経営者になると言うことは、外からの影響で行われることではない。その人間が、何らかの変化を内部で持たなければいけないのだ。

ただ、経営者が労働者より偉いという考え方も間違っている。それぞれにはそれぞれの役割があるから、一概にどちらが人間として偉いと言うことは言えない。ただ、経営者の数と労働者の数を比較すると、経営者の方が少ない。そして給与を比較すると経営者の方が給与が高い。会社における責任ということを考えると、経営者の方が責任が高い。経営者の方がリスクが高い分、リターンも大きいという考えだ。経営者の多くは、他の誰もが自分とおなじ考えをすると考えがちだ。そして労働者の行動、心理が理解出来ないのだ。これが経営者の間違いなのだ。

労働者を違う考えをする人だと理解したとき、会社の経営は簡単になる。反対に労働者が経営者を理解するとき、その労働者は労働者ではなく経営者になってしまうのだ。自分が労働者か、経営者かを判断する方法は意外と簡単なのだ。1週間の中で、自分が仕事に使う時間と家族(個人)に使う時間を考えればよい。仕事に使う時間、仕事を考えている時間が長い人は会社でのポジションは関係なく経営者としてのパターンを実行している。反対にそうではない人は会社でのポジションが経営者であっても、労働者なのだ。

経営者と労働者では、人種が違う

この違いを理解することで無駄なフラストレーションを持つことは無いはずだ。
—-ここまで引用—-
つまり、無理やり育たない人を育てようと考えても、ダメなときは、ダメだということです。
資質とか、素質、本質を見抜かないといけないということは、とても勉強になりました。
20代に私が勤めた会社の社長 CEO は、 『? 全員が経営者になったつもりで !? 』 ?と会議で話していました。
印象には残っていましたが、今やっと、 「 これって無理 」 と確信するに至りました。

2005.10.20

 

【 さらに2009年言いたい放題 】
育つ人は、放っておいても自分から動きます。
育たない人は、常に待ちの姿勢を崩さないし、とかくいいわけが先にたつようです。
自分が正しいという信念は立派ですが、結局おこられて、すいませんという言葉を吐くはめに陥ります。
前者は、失敗した時にそれを学習し、自分の時間を使って克服すべく努力をします。しかし、後者は何度も同じ間違いをするのですが、なぜ、間違えるのかすらわかりません。 ある種、学習能力のようなものが欠けています。

自分がかわいい人種、というのはいつも言い訳に終始し自分をかばいます。
みていて見苦しいかぎりです。
過去にだいまる薬局にもそんな逸材がいましたが、彼ら(男女)に共通しているのは、自分を過大評価することでした。
そんなに「できる」なら、さっさと独立すればいいのです。自分の好きなようにやれますから。
でも、そんな彼らができることは、労働者として自分の給料が少ないということを訴える能力に過ぎないのではないでしょうか。

面接での風景が思い起こされます。
『 あれもできる、これもできる、あれもやったことがある、これもやったことがある。 アレも任されていた、コレも任されていた。』
さて、ふたを開けてみると…(笑)。。。
まあこれもひとつの能力かもしれません。
当時こちらも、心底、すっかりだまされましたが、2009年に風の便りで、よその面接でまたコレをやっていたというお話が聞こえてきました。

時間がいくらあっても育たないやつは育ちません。
本当にできるやつは、よく学習し、そして謙虚です。