お金が無いと言わないこと!

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いつもいつも 『 お金が無い、お金が無い 』? と口癖のようにいい続けている人がいます。

この人の場合、お金が無いのは、結果ではなく、考え方に理由があるかも
そんなお話しです。
お金がほしい、お金がほしいと いつも思いながら、口から出てくる言葉は、お金が無い。これではお金は逃げていって当然です。

お金が入ってくるような事をしていないからなのです。

消費とか浪費と思われることには一生懸命です。

  • お金が入ってきても、貯めることができない。
  • 小銭があると使ってしまう。
  • 入ってくる目途が立った時点でほしいものを先払いで買ってしまう。
  • 使ってしまうと、また財布にお金が少なくなってるから、お金が無い…。

この繰り返しじゃ、一生お金なんて貯まりませんね。

実は、これはついこの前までの 「 私自身 」 のお金が無い仕組みです。

でも、私は、ある時から お金が無いということを口に出さない と決めました。
薬局を開く直前、手元にお金が無いときも、「お金が無い」とか、「お金が無いから何かができない」、とだけは言いませんでした。

なければ、借りる。持っている人のお金を使わせていただく。
お金が無いと言わず、必要な資金はこれだけである、と言い換えました。( 実際は手元には無いです )

信じられるかどうかは別ですが、それだけで不思議なことがおこります。私以外にいろいろな人が経験しているはずですが、道が開けてきます。

そもそも、考えて見てください。
お金が無い人に好んでお金を貸す人がいますか ? 運良く借りられても、商売としてがっぽり金利を取られ、ご利用は計画的にと言われるのがオチでしょう。

そのひとの人物や計画に対して、可能性とか、返済への責任感を感じなかったら道は開けてこないのですから、やはりお金が擦り寄っていくような考え方は必要なのです。

くれぐれも、事業をなそうとする人は、お金が無いと言ってはいけません ね。
「 今 現在」、そのお金が自分のものかどうかは別としてお金はいつもどこかにあるのです。 そう思うことができる人は、幸せです。

2007.07.23

よい習慣を身につける

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仕事を覚えるということはまねをすることだと思います。
習うより慣れろとはよく言われることですが、自分の過去を振り返って、薬局の仕事も「習う」よりは「慣れろ」、の類でした。

私をはじめ、中途採用の場合、ときに「自分の過去のやり方」の方がいいと思うことはたくさんあるでしょう。でもそれはぐっと我慢して自分の中に秘めておいた方が良い場合が多いですね。

まず、周りを良く見渡し自分の今までの仕事の仕方と同じ所をみつけ、違いを把握します。
その上で、慣れる。ぐいぐいと自分を押し出すのはずっと後でいいと思います。
もっとも、自分の場合は過去タイミングをはずした例が多々ありますけど(^^)。

仕事の進め方、物事の考え方については良い習慣を身につけるということがもっとも大事なことだと思います。

今までにいろいろな人と一緒に仕事をしてきました。
すごいな?と感じるのは、「型を習慣で身につけている人」には違和感がないということです。
逆におかしい時もすぐに感じます。
特に患者さんとの接遇に難がある人は「すぐに自分の身を守ること」に腐心してしまうので、強く違和感を感じます。

良い習慣も、悪い習慣も、どちらでも選べるということに ( 選択自由 )、早く気づくべきです。

同じ慣れるなら、よき習慣をもって仕事に慣れる事が大事なのはいうまでもありません。

順番に良いことがおこる

none_img_column   2005.05.22

良いことを考えれば良いことがおき、悪いことを怖れを持って考えれば悪いことが起こる。

私が心のトレーニングをするときに、いつも念頭に置くことです。特に最近では、自分の周りには、良いことしか起こらないと断言するようにしています。

その人が考えることは、その人の周りにいろいろな出来事を起こします。そこには偶然なんてありえず、いつも必然的に出来事が起こると思っています。

考えても見てください、人相の悪い、貧相なヒトに、いい話が舞い込むでしょうか?その人相を作っているのは、その人の毎日の考えの積み重ねです。

私に、心の科学を考えるそのきっかけをくれたのは、十数年前に一緒に働いていた同僚でした。ジョセフ・マーフィーという人の考え方を実践する本を読んでみろと勧められたことがきっかけでした。
–ジョセフ・マーフィーで検索してみると結構ヒットします。お試しを。–
私の気持ちも収入もどん底の2000年ころに、一気に花開いた調剤薬局の社長さんが千歳にいます。
訪問した私に「決してあきらめないこと」と「成功は順番にやってくること」「あなたの番が必ず来ると信じていたらいいですよ」というお話をしてくれました。

そのことは私の心の糧になっています。

最近、「自分は運がいい。もしかしたら、運だけで生きているのではないか?と思うくらい運がいい。」こんな話をよく人にします。
運がいいなーと思う出来事が身の回りに、たくさん起きているのでそう思わざるを得ないからです。

きっかけは「縁」だと思いますが、その後は何かしらのひらめきとそれを行動に移すちょっとしたきっかけを大事にするということだと思います。
ある知り合いのかたは、私に以下のような話をしてくれました。

くよくよ考えない。
人をうらやまない。
あせらない。
良い人と付き合う。
いずれ良い結果が生まれます。

こんな話をしていただけることが、すでに私は運がいい。
ほんとに感謝しています。

心に残ることば

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(注:2009年 コンテンツ引越しのため、古いものをせっせと移し替えています)

1993年頃のことです。
当時函館の湯川温泉に近いところに住んでいた私は、よく日帰り入浴のためにいろいろな温泉旅館に出かけていました。

ある日立ち寄った旅館の、浴場脱衣所の壁に大きな額に入れられて何か文章が書いてあります。
何気なく読んでいくうちにとても感心してしまいました。
二度三度と読むうちにその文章がほしくなり、次に出かけたときにはその旅館のご主人にコピーが欲しいと伝えていました。

そしてご主人から、印刷した立派な紙をいただくことができました。
読む人によっていろいろな共感も解釈も批判もあることと思います。
読後の感じ方は様々でしょうが、私は自分の夢は持ちつづけるべしというメッセージとしてこれを受け止めました。

人間は何を考え、どう生き、これから何をやろうとしているのかで決まるのだから、最後に笑えばいい 。

そんな気持ちに勇気づけてくれたことば(詩)です。

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『若さとは youth 』 サミュエル・ウルマン Samuel Ullman

若さとは人生のある時期のことではなく、心のあり方のことだ。

若くあるためには、強い意志力と、優れた構想力と、激しい情熱が必要であり、小心さを圧倒する勇気と、易きにつこうとする心を叱咤する冒険への希求がなければならない。

人は歳月を重ねたから老いるのではない。
理想を失うときに老いるのである。
歳月は皮膚に皺を刻むが、情熱の消滅は魂に皺を刻む。

心配、疑い、自己不信、恐れ、絶望—これらのものこそ成長しようとする精神の息の根を止めてしまう元凶である。

70歳になろうと16歳であろうと、人間の心の中には、驚異に対する憧憬や、星や星のようにきらめく事象や思想に対する驚きや、不屈の闘志や、来るべきものに対する子供のような好奇心や、人生の喜びおよび勝負を求める気持ちが存在するはずなのだ。

人はその信念に比例して若くあり、疑いに比例して老いる。
自信や希望に比例して若くあり、恐れや絶望に比例して老いる。
大地や人間や神から、美しさ、喜び、勇気、崇高さ、力などを感じとることができるかぎり、その人は若いのだ。

すべての夢を失い、心の芯が悲観という雪、皮肉という氷に覆われるとき、その人は真に老いるのだ。
そのような人は、神の哀れみを乞うしかない。

2003.08.04