コミュニケーション「力」

だいまるコラム

うちの娘が通っている予備校での話。

本人は、毎日が楽しそうで、話題が尽きない。

娘の話を聞いていると、どうも、すぐ友達ができるようです。

※じいさんからの、隔世遺伝だとおもう。

わたしは、なかなかすぐ打ち解けられないのだけど、打ち解けたらつきあいはわりと深くなります。でも、じいさんと、娘は、初対面の相手でもすぐに会話がはずみ友達になる。

これは何かとおもって娘の話を聞いていると、彼女曰く、わたしの周りには? 『? コミュニケーション能力? 』? が高い人が集まっているとのこと。

※それはオマエもダ。

『? コミュニケーション能力? 』? が高い人は、 自分の事だけではなく、他人の事にも興味をもって関心を寄せているのがよくわかります。

つまり、よく人の話を聞き、自分の事だけを中心に話すことがない。

 

将来、どんな仕事についてもヒトに関心を持つことはよいことです。

そういえば、私は、子供の時に人の話をよく聞くように 教えられて よかった。いくらかはコミュニケーション力はあるかもしれない。

でも、なぜかとっつきにくいとか思われがちで、心外なんですけど、なにか (笑)。

ほめ達(ホメタツ)

テレビを見ていたら、聞きなれないほめ達(ホメタツ)という言葉が流れてきた。

それは、ほめる達人検定?というものでした。

相手を褒めることでコミュニケーション力を上げて関係を円滑なものにもっていくことや、相手のモチベーションを上げることなどいろいろ効用があるようです。

ほめ達の基本は3S+S 。

さすが
すごい
すばらしい
+
すてき

検定試験の問題にはこんなものもあるそうです

問)空気が読めない という言葉を、ほめ言葉に置きかえなさい。

答えは、自分らしさを持っている。何事にも流されない。だそうです。

けなすほうに使われる『 空気が読めない 』でさえ見方を変えるとほめ言葉になるという発想の転換。

スゴイ(笑)。

そして、ほめて上がったモチベーションをどんな方向に利用するのかまで教えられるのが真のほめ達ということです。

誰か検定試験受けてみたくなった方、

やってみなはれ。

 

挨拶はなぜ大事なのか

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私は、挨拶は、人間関係の基本、イロハのイだと思っています。そして、相手とコミュニケーションをとる手段として、とても意味のあることだと思っています。

今朝は、挨拶を忘れてませんか ?

挨拶の意味は、相手に向かって心を開くことにほかならないわけです。相手の目を見て表情を確認して、心がこもった挨拶をしませんか。

視線が絡まないように、なんとか絡まないようにするギクシャクした関係ってつまらないでしょう ?
これを目にした皆さんがどのような大きさの会社にお勤めかはわかりません。
でも、どんなに小さな組織でも、嫌だなと思う人はどことなく近寄りがたいものですが、会社は同好のサークル的な集まりじゃなく目的を持った集団です。

たとえば、嫌な人に感情むき出しに接するのも困りますが目を見ないで
「 あ、おはよう 」
「 あ、さようなら 」
と挨拶をされてもこれまたつらい。

私も、この人には嫌われてるなーと感じたのは前出、薬局長の、朝の挨拶でした。
まず目を見てあいさつという事がない !
というか目をそらす。(-_-;)
でも挨拶と同じように、意味のあることが普段の心がけですね。
何か相手の為にできる事があれば、自分が出来る範囲で誠意をもって協力を惜しまないという心がけが大事なので、これは忘れてはいけないと思います。
いつ頼られても、私は応えられますという心がけ?がタイミングを逃さない。

そして、他人が自分の為に何かをしてくれたら感謝の気持ちを表す事もコミュニケーションには特に大切なことですね。

 

「 なぜ、あいさつするの ? 」というホームページを見つけました。
わたくしは、そうか?と思いましたよ。

 

よし、おさらいだ !

だいまる薬局でもあいさつ接遇研修やりましょう。
【 先生は確保しています S先生よろしくお願いします

日本語が通じない人、多くないですか?

【2009年、記事の引越し中です】

 

T子です。

以下の文は、私が最近、若い人(まだまだわたしも充分若いのですが)特に働いた経験が浅い人に対して思うことです。

経験や知識も様々異なる人たちが同じ職場・会社で働くことにおいて大事な事は何だろう? と考えてみました。

現在はコミニュケーションの手段として携帯電話やメールがよく使われています。今では小学生くらいから携帯電話を持っていて、いつも話したい相手が必ず出てくれる携帯電話やメールは、好きなときに自分の都合で呼びかけができます。
そこには相手の都合は関係なくなってしまいました。
とても便利ですが、一方では、それがために、社会人になるために学ぶべき一般常識的なことを学んでいない人が増えいるような気がします。

みんな、使うべききちんとした言葉をどんどん忘れていないでしょうか。

  • 会社に来客があったとき挨拶が出来ない
  • 会社にかかってくる電話に出ても満足な対応が出来ない。
  • 特にメールは自分の好きな時間に書いて、好きな時間に読み相手に気持ちは文字面でしかわからないので、きっと自分のいいように解釈する。
  • もしかしたら、怒っていたかもしれないのに「たいしたことないよ」と。

メールというのは、実際に話していないのですから、お互いがどんな感情でいるかはわかりませんよね。しかもメールは返事をしなければそこで関係を終わりにすることも出来るのです。

人間と人間との関係はそんなにうすっぺらいものでしょうか?

テレビを見ていて最近、友達がいないという若い人の話を聞いたことがありますが、きちんとコミニュケーションが取れないで、自己完結してしまう人が増えているのではないでしょうか?

わたしが子供のころは家の電話か手紙が連絡をとる手段でした。お友達に会いたいとき、そのお友達の家に電話をかけます。でもそこにはお友達の家族が住んでいます。すぐに目的の友達が出てくれるとは限りません。
お父さんやお母さんが出たときには“こんにちは○○と申しますが、●●さんいらっしゃいますか?”とたずねますし、夜遅い時間になれば“夜遅くにすみませんが”と一言付け加えたりします。

長電話をしていれば他に電話がかかってくるかもしれないから、と叱られ気を遣います。
そういった日常生活の中から、目上の人たちに使う言葉や使ってはいけない言葉を学んでいきました。

私たちは「家族」という一番ちいさな会社に所属しています。今はおじいさん、おばあさんが一緒に暮らすといったことはないかもしれませんが、やはり、お父さん、お母さんがいて子供が2人くらいは普通でしょう。
そこでもやはり家族内でのルールがあると思います。

お父さんは今でも社長でしょうか? (そうあって欲しい…)お母さんは課長くらいの役割をもっているでしょうかね。そうなると子供たちは社員ですね。
お父さんの言うことを子供たちに伝えるために、お母さんはきちんと噛み砕いて説明してくれます。同じ言い方で解らないようなら別の言い方を考えるでしょう。
そうやって理解していく言葉が増えていくような気がします。同じ意味でも“おはよう!”と“おはようございます”では受けた印象がちがいますし、使う用途も違ってくると思います。
お父さんは“おはよう!”と家族に言うかもしれませんが子供たちはもしかしたら“おはようございます”とお父さんやお母さんに言っているかもしれません。
このちいさな社会の中で他人とのコミニュケーションの仕方を学ぶのです。
敬語は日本語にしかない言葉です。日本ではそれだけ場面場面で言葉を使い分けていたのでしょう。
話さなければ言葉も覚えないし、使い方も解らなくなる。相手があるから会話が出来る。

以前、FAXで退職願を出した人のことが話題になっていました。しかし、今や、それをメール・携帯電話で実際に送っているのです。携帯やメールは簡単な連絡をとる手段としてだけ使ってほしいと思います。

きちんとした自分の言葉で、相手にわかるように伝える。このくらいは出来るようになってもらいたいですね。

次の人に感謝されよう

none_img_column?? ?2005.09.13

私は増えてきたスタッフに対し、仕事がチームで行われるときは、いつも 「次に仕事をする人の事を考えて仕事をしよう 」 と言うことを伝えています。

自分が、ある仕事の流れの中の一部分を担当したら、次にその仕事を受け持つ人に対して、流れを止めないように、また、その仕事を引き継ぎやすいように、相手を思いやる心や気持ちを大切にしたいということです。

たとえば、一声かけて、互いに声をかけ合って仕事をしよう、ということもそのひとつですし、自分のパートはここまで、と言わんばかりにやりっぱなしにすることはダメですよ、ということもそのひとつです。

処方箋がたくさん受け付けられた時の調剤室の中はとても忙しくて、一度に何枚もの処方箋の調剤が平行して行われ、とかく混乱するものです。

そのたくさんの調剤を管理するのは容易ではありません。

しかし、その流れをしっかり作るためにはスッタフ相互の意思の疎通や、次に仕事をする人に感謝されるような確実・着実な仕事が重要だと思います。

また、システマチックに一連の物事が運ぶためには、途切れない流れを作り、流れの途中で発生する突発的な出来事に対して柔軟に対応できるだけの 「 余力を持たせる 」 事が大事です。

チームワークと言うのは、次の人を思いやり、受け持つパート同士お互いに尊重しあえる仕事のことをさすのではないでしょうか。

「これ誰やったの?」というとき、その後に続く言葉は、「いい仕事だね」と言われたいものです。