ひとはひと、自分は自分

だいまるコラム

自分の嫌いなものに、サラリーマン根性というのがあって、たとえば

成果が先

誰かの監視がないと働けない

給料の保証がないと不安

ため息・愚痴・文句

自分のために働く

酒を飲まないと本音が出ない

などなど。。(男女問わずですよ)

 

けっこう声だかに、嫌いと、そんなことを言ったこともありますが、

最近は、もう

自分はこう、でも、他人は他人の考えかたでやってるんだから、いいじゃない。。。

と極めてなんでもOK状態です。

許容範囲は確実に広くなっています。

 

何をやっても、あたりまえ

だいまるコラム

うちの薬局は、(うちの会社は)札幌市内でも都心まで遠く、雪も多く、交通の便もそんなによくない。

別な言い方をすれば、自然豊かで、風通し良く、雪が一晩でアートともいえる造形をつくる、そんな場所です。

だから、

過酷な労働環境とは言わないけど、少しでもそんなことを忘れるように

完全週休二日

有給休暇はほぼ完全消化

雪かきが楽になるようにロードヒーティング(融雪)と除排雪には力を入れ

休みくださいと言われても絶対いやと言わないと心に決め

13年やってきました。

 

それが、私として、あたりまえだった。

スタッフとしては、それが、額面通りあたりまえとおもうんだろうな、と最近感じるようになりました。

ここに至るまでは、やせ我慢もして、作り上げてきた環境だけど、
その環境ができてから入った人にとっては、それがあたりまえなんだなと思うのです。

シカタナイ。

 

新しい何かを提供すること

常に新鮮で、価値のあることを提供しようと考えること

これは、社長として楽しいことでした。

人間は、どんどん歳をとります。

ふと気づいたとき、折り返し地点はとうに過ぎて到着地点を模索し始めます。

まさか、自分にそんな時期がくるとは思いもしませんでした。

 

 

 

 

 

 

騙されたといってほしくないよね

だいまるコラム

順番に良い事がおこる、というコラム  を書いたのは、いまからもう10年以上まえ。

なんか感慨深いものがあります。

わかる人にわかり、わからない人にはわからないオハナシです。

そんなの、あたりまえかもしれない。。。 私が言いたい事は、

自分の身の回りに起こるすべての事は、自分のせいであることをもっと自覚しよう。
けっして、他人が自分に何かを引き起こしている訳でなないのだ。

ということです。

あの人には騙された、すっかり騙された、こんなはずじゃなかった  などなど。そんな愚痴を言うヒマがあったら、他人に影響をおよぼすくらいの側にまわってみろ。

騙された(とおもっている)のは、信じた自分が悪い、となぜ思えないのか。お金が絡むからか?それとも自己保身からか。

騙されるような状況に身を置いてくれと、だれか頼んだのかな?イヤと言えばよかったのに。

わたしが、『 ぜったいに、この人について言ったらだめだと思う。』と複数回言ったのに、その人を信じてます!と言って、一緒に仕事をした薬剤師Aがいた。

でも、15年くらいたって、『 関係が破たん 』したとき、薬剤師Aは「あの人には騙された」、と周りに漏らしたそうです。

順番に良い事がおこるんだから、だまっていればいいのさ。

口に出しちゃうから、品位が下がる。

周りも、そのことを話題にする。

私は、薬剤師なんて、もともと経営能力があるわけではなく、職人としての手先の器用さと、努力した結果の多少の知識と、周りと調和する程度のコミュニケーション能力を持っているにすぎないとおもうんだよね。
それが、このたった30年くらいの間に、分業の父(笑)が世の中に出てきたおかげで(大した経営能力もないくせに)医薬分業の波に乗ることができた。

もっと謙虚に生きなくちゃダメだと思います。そろそろ淘汰の時期に来てるんだから。
薬剤師である前に、ひとりの人間としておとなしく生きないとダメだと思います。

自分の周りに、良い人を集めるには、その人が良くならないとね。

付き合う人を変えれば、人生も変わる。
人生が変われば、付き合う人も変わる。
些細なきっかけをチャンスと考え、行動する事。
他人に、人生を変える力なんてないんだからね。
すべては自分です。周りは、支えてくれるだけです。

他人のせいにする考え方を変えないと成功は無いと思います。

 

 

ひとの話を聴けるひと

だいまるコラム

数年前、接待がまだあったころのはなしです。

初めてわたくしと食事するMRさんは、一生懸命自分の事ばかりお話ししてた。

ふんふんふんふん、と相づちをうってわたしも一生懸命はなしを聞いてた。

ただ、今となっては、何を話していたか、ただの一文も思い出せない。

帰って、疲労感だけが残ったのをこうして覚えているだけであるが、あれはなんだったんだろう。

ある意味、幸せなMRさんであった。

今で言うなら、空気を読めないMRさんだった、といったところだろうか。

あの人になら、話しやすい、話せる、というべきヒトが身の回りにも何人かいる。

共通するのは、過激な事を言わず、懐深く、話題をそらせず、中庸を心掛けていて、我田引水がなく、かつサービス精神の旺盛なひとである。ヒトの話をとっていかない。

たぶん、素直なのだとおもう。

たぶん、相手を想いやる気持ちがあるのだとおもう。

わたしが思うに、そんなひとは、人生をひとの何倍も楽しんでいるのではなかろうか。

おれがおれが、と、自分の話をひけらかすのではなく、一緒にいて、あいてをおもいやり、相手を楽しくさせるすべをもっている。

そんな人は、きっといい話が舞い込んでくるでしょうね。

ゴールデンルールはそんな人のために、あって当然でしょうね。

 

 

想像力を働かせて

だいまるコラム

テレビを見てた時の話。

事故がおきた時、大惨事になるか、それとも運よく死傷者が出なくて済んだか。

その差は、偶然ではない、という内容の検証番組でしたが、普段から、事故を起こさないためにどうしたらいいのか、また、万が一事故を起こしてしまったらどうしたらいいのかを意識している身としてはたいへん興味深い話でした。

ヒヤリハットした内容もよくよく調べると、何段階もそれを避けるためのヒントがあって、そのヒントをものの見事にことごとくかいくぐった時に事故は起こるんですね。

自動車の運転で

こうなるはずがないというバイアスがかかった運転が、だろう運転。
もしかしたら、万が一、こうかもしれないと考えて運転するのが、かもしれない運転。

大丈夫だろう、まさか、こうはならないだろう。

いやいや、…なるんですよ。ひきよせちゃう。

普段から、想像力を働かせて、こうしたら、こうなってしまうかもしれないと思って行動し、その時どうすればいいのかとまたまた想像力をしっかりと働かせながら仕事する事が大事なんですね。