コミュニケーション「力」

だいまるコラム

うちの娘が通っている予備校での話。

本人は、毎日が楽しそうで、話題が尽きない。

娘の話を聞いていると、どうも、すぐ友達ができるようです。

※じいさんからの、隔世遺伝だとおもう。

わたしは、なかなかすぐ打ち解けられないのだけど、打ち解けたらつきあいはわりと深くなります。でも、じいさんと、娘は、初対面の相手でもすぐに会話がはずみ友達になる。

これは何かとおもって娘の話を聞いていると、彼女曰く、わたしの周りには? 『? コミュニケーション能力? 』? が高い人が集まっているとのこと。

※それはオマエもダ。

『? コミュニケーション能力? 』? が高い人は、 自分の事だけではなく、他人の事にも興味をもって関心を寄せているのがよくわかります。

つまり、よく人の話を聞き、自分の事だけを中心に話すことがない。

 

将来、どんな仕事についてもヒトに関心を持つことはよいことです。

そういえば、私は、子供の時に人の話をよく聞くように 教えられて よかった。いくらかはコミュニケーション力はあるかもしれない。

でも、なぜかとっつきにくいとか思われがちで、心外なんですけど、なにか (笑)。

人間関係その他で会社を辞めたいと思ってる人へ

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新年度になりました。

毎年たくさんの学生や、また転職組などが新しい職場でスタートを切る時期ですね。
すばらしいことだと思います。

だいたい2-3週間も経つと、多少なりとも慣れてきて、
周りの風景も見えるころ、でしょうか。

ヤリガイを背中に生えさせた一部のひとをのぞくと、
こんなことを考え始めます。

ああ、つまんない
先が見えた
ここは居場所じゃないかも
やってらんない

コレ、昔の、わたしですか ? (^^)
ほとんどの人は、だいたい思うように行かないことを
人のせいにしますから、自分の事として考えない傾向がありますね。

つまり、こうです。

あいつが原因で、あいつのせいで、自分の仕事がうまく行かない。

それで、この状態が続くと、このあとしばらくして会社を辞める、ということになるわけです。

私の場合は、初めての就職から辞めるまで14ヶ月でしたから、
ある意味でわりと順調に辞めるに至った:-)ケースでしょうか。

でも、その14ヶ月の間に、自分が何ができたかを振り返る余裕が、おじさんになった今の自分にはあります。

どうだったか。

じつはですね、何もできなかった。

さらに自分が欠けたら会社は困るだろうとほんのちょっとでも思った自分の浅はかさや、わたしが辞めても、なにひとつ困らなかった会社の現実というものを、思い知らされたわけです。

会社は、そのポジションに本当にあなたが合っているか、なんて思ってはいません。
まして新卒ならなお更、そんなこと、ワカルワケナイじゃないですか。

会社にはたくさんの立場や、ポジションといわれるものがありますから、
いかに適材適所、少数精鋭などといっても限度があるのです。

会社がそんなあなたに望むことは、粘り強くそのポジションで工夫してくれる忍耐力。
(念のためにいいますが、私にはその粘りはなかったですよ)

粘り強くその職に当たる人を、時期が来て会社がほうっておくわけがないのですが、
そのガマンができなくて

  • 職があわないとか
  • 人間関係があわないとか

言い出す。

何かの本で、人間国宝みたいな方が、おっしゃってました。

  • 自分にその職がむいてるか、あってるかではなくて、
  • 自分がその職や仕事にあわせる事が大切だ ! と

小さな工夫が必要です。

仕事を面白くする工夫が必要です。

きっと運が向いてきたと思う時期が来ます。

人生は波です。
うねりです。
いつまでも同じ状態じゃないです。

イイコトが必ず来ます

どんとこい ! と思って続けてみてください。

他力本願でなはく、自力本願で行きましょう !

2008.04.22

プラスのオーラを出せる人間になろう

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人と接すると、
その人が、自分に対して思うこと、考えることが、ポジティブ(+)なものか、ネガティブ(?)なものかを肌で感じることがあります。
そのひとから放射されるオーラのようなものが、「 理性 」でくるまれていると、なかなかそれを感じることができませんが、なにかの拍子で、それが 「 感情 」が先にたつと、プラスのものか、マイナスのものか、を強く感じる場合があるものです。
マイナスの場合、それは、つっけんどんな物言いだったり、言い放ったり、返事をしなかったり、黙殺したり、それを気づかないあなたが悪いといわんばかりの顔つきや態度だったりします。

これをやってしまうと、しっぺ返しとも言うべき反作用が自分に帰ってくるのは時間の問題だという事を知るべきです。

仮に、理屈がわかっていても、いつもマイナスのオーラを出してしまうというのは、ある種の癖のようなものだと思います。

これは、悪い癖です。

でも物事には、反対のこともあります。

よい癖のことです。
悪い癖がつくのなら、よい癖だって付けられるはずですよね。
毎日同じことをする、というのが習慣であり、よい癖をつける練習です。努めて

【 あなたのために、何かできる。私はあなたのために、何かをしてあげる用意がある。 】

こんなオーラを出し続けましょう。

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毎日同じことをし続けませんか。
プラスのオーラを出せる人間になれば、人間関係なんかで困ることはないはずですし、それは自分に戻ってきます。
それは、因果応報です。
前にも紹介したことがありますが、それは、『 情けは人のためならず 』 です。

プラスのオーラは必ず自分にも良い方向で帰って来ます。
これを信じて、よい習慣を続けましょう。

2007.09.26

挨拶はなぜ大事なのか

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私は、挨拶は、人間関係の基本、イロハのイだと思っています。そして、相手とコミュニケーションをとる手段として、とても意味のあることだと思っています。

今朝は、挨拶を忘れてませんか ?

挨拶の意味は、相手に向かって心を開くことにほかならないわけです。相手の目を見て表情を確認して、心がこもった挨拶をしませんか。

視線が絡まないように、なんとか絡まないようにするギクシャクした関係ってつまらないでしょう ?
これを目にした皆さんがどのような大きさの会社にお勤めかはわかりません。
でも、どんなに小さな組織でも、嫌だなと思う人はどことなく近寄りがたいものですが、会社は同好のサークル的な集まりじゃなく目的を持った集団です。

たとえば、嫌な人に感情むき出しに接するのも困りますが目を見ないで
「 あ、おはよう 」
「 あ、さようなら 」
と挨拶をされてもこれまたつらい。

私も、この人には嫌われてるなーと感じたのは前出、薬局長の、朝の挨拶でした。
まず目を見てあいさつという事がない !
というか目をそらす。(-_-;)
でも挨拶と同じように、意味のあることが普段の心がけですね。
何か相手の為にできる事があれば、自分が出来る範囲で誠意をもって協力を惜しまないという心がけが大事なので、これは忘れてはいけないと思います。
いつ頼られても、私は応えられますという心がけ?がタイミングを逃さない。

そして、他人が自分の為に何かをしてくれたら感謝の気持ちを表す事もコミュニケーションには特に大切なことですね。

 

「 なぜ、あいさつするの ? 」というホームページを見つけました。
わたくしは、そうか?と思いましたよ。

 

よし、おさらいだ !

だいまる薬局でもあいさつ接遇研修やりましょう。
【 先生は確保しています S先生よろしくお願いします

日本語が通じない人、多くないですか?

【2009年、記事の引越し中です】

 

T子です。

以下の文は、私が最近、若い人(まだまだわたしも充分若いのですが)特に働いた経験が浅い人に対して思うことです。

経験や知識も様々異なる人たちが同じ職場・会社で働くことにおいて大事な事は何だろう? と考えてみました。

現在はコミニュケーションの手段として携帯電話やメールがよく使われています。今では小学生くらいから携帯電話を持っていて、いつも話したい相手が必ず出てくれる携帯電話やメールは、好きなときに自分の都合で呼びかけができます。
そこには相手の都合は関係なくなってしまいました。
とても便利ですが、一方では、それがために、社会人になるために学ぶべき一般常識的なことを学んでいない人が増えいるような気がします。

みんな、使うべききちんとした言葉をどんどん忘れていないでしょうか。

  • 会社に来客があったとき挨拶が出来ない
  • 会社にかかってくる電話に出ても満足な対応が出来ない。
  • 特にメールは自分の好きな時間に書いて、好きな時間に読み相手に気持ちは文字面でしかわからないので、きっと自分のいいように解釈する。
  • もしかしたら、怒っていたかもしれないのに「たいしたことないよ」と。

メールというのは、実際に話していないのですから、お互いがどんな感情でいるかはわかりませんよね。しかもメールは返事をしなければそこで関係を終わりにすることも出来るのです。

人間と人間との関係はそんなにうすっぺらいものでしょうか?

テレビを見ていて最近、友達がいないという若い人の話を聞いたことがありますが、きちんとコミニュケーションが取れないで、自己完結してしまう人が増えているのではないでしょうか?

わたしが子供のころは家の電話か手紙が連絡をとる手段でした。お友達に会いたいとき、そのお友達の家に電話をかけます。でもそこにはお友達の家族が住んでいます。すぐに目的の友達が出てくれるとは限りません。
お父さんやお母さんが出たときには“こんにちは○○と申しますが、●●さんいらっしゃいますか?”とたずねますし、夜遅い時間になれば“夜遅くにすみませんが”と一言付け加えたりします。

長電話をしていれば他に電話がかかってくるかもしれないから、と叱られ気を遣います。
そういった日常生活の中から、目上の人たちに使う言葉や使ってはいけない言葉を学んでいきました。

私たちは「家族」という一番ちいさな会社に所属しています。今はおじいさん、おばあさんが一緒に暮らすといったことはないかもしれませんが、やはり、お父さん、お母さんがいて子供が2人くらいは普通でしょう。
そこでもやはり家族内でのルールがあると思います。

お父さんは今でも社長でしょうか? (そうあって欲しい…)お母さんは課長くらいの役割をもっているでしょうかね。そうなると子供たちは社員ですね。
お父さんの言うことを子供たちに伝えるために、お母さんはきちんと噛み砕いて説明してくれます。同じ言い方で解らないようなら別の言い方を考えるでしょう。
そうやって理解していく言葉が増えていくような気がします。同じ意味でも“おはよう!”と“おはようございます”では受けた印象がちがいますし、使う用途も違ってくると思います。
お父さんは“おはよう!”と家族に言うかもしれませんが子供たちはもしかしたら“おはようございます”とお父さんやお母さんに言っているかもしれません。
このちいさな社会の中で他人とのコミニュケーションの仕方を学ぶのです。
敬語は日本語にしかない言葉です。日本ではそれだけ場面場面で言葉を使い分けていたのでしょう。
話さなければ言葉も覚えないし、使い方も解らなくなる。相手があるから会話が出来る。

以前、FAXで退職願を出した人のことが話題になっていました。しかし、今や、それをメール・携帯電話で実際に送っているのです。携帯やメールは簡単な連絡をとる手段としてだけ使ってほしいと思います。

きちんとした自分の言葉で、相手にわかるように伝える。このくらいは出来るようになってもらいたいですね。