レジのお金が合わない事から思うこと

none_img_column? (記事の引越し中です) 2007.03.26

大きな病院と、だいまる薬局のような小さな調剤薬局を比べて、際立って違うのは、医事会計が独立しているかどうか、という事だと思います。

その規模にもよるのですけど、大きな病院の場合は医事課に受付機能と会計機能を専任する職員を配置し、さらに調剤専門の機能を持たせた薬局 ( 調剤所 ) を持ちます。
この人員は相互に補完することはなく、それぞれ独立した部署として存在するのが普通です。
私たちの調剤薬局の場合は、受付、調剤、投薬、会計など複数の業務をスタッフみんながこなし、カウンターの内側でぶつかり合うように仕事をしています。

事務スタッフは、あれもやり、これもやり、かなり大変な仕事だと思います。

もちろん薬剤師も調剤全般をやって投薬し、レジを打ってまた調剤監査に戻るなど、気ぜわしいことこの上ない様子をみせます。

調剤薬局なんてしょせん処方箋と薬の交換所だと思われがちで、事務員1-2名、薬剤師1-2名でまずまずの仕事ができるだろうと考えられるのは、とても心外でありつらいところです。
だいまる薬局の人員は常時、事務3-4名・薬剤師3-4名です。

『 ずいぶんたくさん人がいるんだね? 』 と言われる事があり、ほめられているようであり、意外だなーと思われているようでもあり、複雑な気持ちになります。
「 どうしてそんなに必要なの ? 」 というのが本音の質問ではないでしょうか。

さて、最近(2007年)、だいまる薬局では日次集計の際、レジのお金が、数十円から数百円円くらいの範囲で合わない という事が立て続けに起きました。

これに対して、事務スタッフに負担がかからないかを判断した上で、レジうちを事務スタッフに変更。
その後は、ほぼレジのうち間違いや、おつりの受け渡しの間違いをなくすことができたようであり、日次集計の金額が当然のように合うようになってきました。

私は調剤薬局の経験がこれまで14年ほどになり、手提げ金庫時代も含めてレジで現金をやり取りすることに抵抗がなくなっておりますが、間違えないという自信はありません。

たかがレジの事がきっかけですが、何か考えなければいけないという漠然とした予感めいたものはありました。

  • 違算は薬剤師のミス ?
  • スタッフの間の風通しはいいのだろうか ?
  • みんな声をかけあって仕事してるだろうか ?
  • 仕事が形式めいた作業に成り下がってないだろうか ?
  • 失敗やミスが糧になっているだろうか ?

などなど。。。
少し話を変えますが、私は、薬局の事務スタッフと薬剤師の違いは、
薬剤師は、調剤監査をする職能をもつ事と、薬歴をとりその管理をすることにあり、そのほかの部分の仕事は、免許があるなしに関わらず薬局内の仕事としてやるべきことを分担していると考えています。
( だいまる薬局の場合は、レセプト業務と処方箋の入力は事務スタッフに100%対応してもらっています )

つまり、お金に関することでも、薬が足りないという問い合わせが来たとしても、患者さまのためにこの薬局が存在している以上、同じ次元で対応しなければいけないと思っています。

同じ次元とは、いつも患者さまのためにどうすればよいかという視点にたちながら、待たせない方法で、満足のいく方法で、確実な方法で、検討して決断しなければいけないということであり、これは薬局の屋台骨です。

この視点には薬剤師と事務スタッフの区別があってはいけないし垣根があってもいけない。

ただひたすら患者さまのため、というベクトルを合わせた行動や言動が、必要なことだと思いますし、ベクトルの先に患者さまがいるという事を絶対忘れてはいけないということです。
日々の私の言動や、行動が裏付けるものでなければそれこそ絵に描いた餅ですので自戒しなければいけないところです。

2007.03.26

話に、間 ( ま ) がない。間をとれない。

none_img_column? 2006.12.28

飛ぶ鳥落とす勢いで店舗を広げTVコマーシャルも、しゃれたものを流している衣料品会社に買物に行った時の話です。

私は足が人並みより短いので、ズボンの丈を(人並み以上に) 詰める必要がありました。先に会計し、そのための説明を聞いたわずかの時間の出来事でしたが、私にはその説明にものすごく窮屈さを感じました。

これでもかと、まくし立てるように、自分たちの都合による文言を並べますが、言いたいことだけを間断なく延々しゃべるので、こちらは、はい・はい、としかいえないのです。

つまり、「 話に、間 ( ま ) 」 がない。

間をとれないということは、相手の気持ちを考えた対応ではないんだなあという事を思い知らされました。

このお店での会計とおなじように、カウンターを挟んで患者さまに説明することが私にもよくあります。
話をするときは、自分に都合のよい言葉を並べるだけではダメで、相手の理解を確認しながら 『 間 』 をもたせないと、気持ちよくないものなんですね。

みなさんは薬をもらうとき、どこかの調剤薬局で、質問攻めにあったことはないですか ?

結果として、しゃべりすぎも 『 間抜け 』 と思われるので要注意ですね。 
本人は気づいてないけど、相手のひとは、心の中で、「 マヌケ… 」とつぶやいているやも知れません。

相手が聞きたいことを選んで話す。これは、まさにサービスのエッセンスですね。

…反省しなければいけない場面が多くあります。

2006.12.28

自分に負荷をかけてますか?

薬剤師は、とかく「暗い」人種、と言われがちです。

その理由を考えてみると、人を相手にしているのか、ものを相手にしているのかという事に行き当たります。
だいまる薬局では薬局はサービス業として定義していますから、少なくともそこで働く人はヒトを扱っているという思いがどこかにあるはずです。

  • まず店内に入ってきた患者さまの名前を反復してみる。
  • その患者さまがどんな薬を飲んでいるか?
  • 前回どんな話をしたかを思い出す努力をしてみる。

そんな負荷を自分に対してかけてみるのも悪くは無いとおもいませんか?

自分のなかで
『 ここまで !? 』 と線を引く仕事ってつまらないものであるという感覚を大事にしたいと思います。

そもそも、私は薬剤師ですが、何を「売り」にできるのか改めて考えるのもいいと思います。聞かれなければ、そう問われないと、なかなか考えないものですしね。

最近、そんな機会に恵まれました。
だいまる薬局の得意なものって何ですか ? と問われ、 『 精神科 』 に強いです、と強がってみました。
『 患者さんを怒らせないことです 』 と、また強がりました。
ほんの少しの経験を誇張(^^)するとき、これから実際にそうなってなければウソつきですから、これもそうなろうと、負荷をかけることになります。

背中をぽんと押されたら、走り出すべきです。結果がついてくると信じるのも悪くないですから。

小さな喫茶店–シェフに教えてもらったこと–

none_img_column??? 2005.03.28

T子?です。

レストラン修行時代、シェフに多くのことを教わりました。
少しずつこのホームページで紹介していこうと思います。
自分に対する他人の評価というのは、時によって、とても厳しく、自分の能力以上の事を求められることがあります。

それは小さい組織になればなるほど求められるものだと思います。

小さい組織は、そこを経営している人にとって、なにかしら思い入れがあっての仕事だとおもいます。もし、そこから自分がいなくなったときにどういう状況か、というのはとても心配なことだと思います。

例えばここが小さな喫茶店だとします。

店主はいつも丁寧にコーヒーを入れ、手作りのお菓子を毎日作ってお客様に喜んでもらえるようがんばっていました。
そんな評判がいつのまにか街に広がってどんどんお客様が増えてきています。
うれしいことですが、店主はひとりでは大変になり、人を雇うようになりました。
その従業員に一つひとつ自分のやり方を教えて、仕事を任せられるようになり、店主も少し安心していました。
そしてある日、店主は大事な用事で店を離れなければならなくなりました。
そこでその従業員に任せて外出しました。しかし、いつもはきちんと仕事をしていた従業員も、いつもの厳しい目がなくなると、本来の自分がでてしまい、少しずつ手を抜いて仕事をしていました。
あるお客様は、 「 店主のコーヒーが飲みたい 」? と帰ってしまいました。
しかし、ほとんどのお客様はその従業員の入れたコーヒーを 黙って 飲みました。

店主は店を離れた不安でいっぱいながらも、戻ってきた時に何事も無く店が営業していることを見、安心して、またいつものようにコーヒーを入れお菓子を作りました。

ところが、何度かそんなことを繰り返すうち、いつのまにか、いつも来ていたお客様が来なくなっていました。
そして、そんなある日、店主は噂を聞きました。

『 店主がいない間のコーヒーはとてもまずく、味が落ちたね。』 と …

つまり、店主は従業員に仕事の方法は教えられても、店主がこれまでにどんな想いで小さい喫茶店を守ってきたのかを教えることはできなかったのです。その結果、毎日、毎日、努力をして少しずつ増えたお客様をそんな一瞬で失ってしまっていたのです。

その従業員は何の苦労もしないで「方法」だけを教えてもらった結果、『仕事をこなす』ことはできてもそれ以上のことはしようとはしませんでした。

もうすこし店主の努力、つまり想いとか、思い入れを分かろうとしていたならこんな結果にはならなかったのではないでしょうか?

当時、私たちはシェフがどんな想いでレストランを開きお客様を迎えていたかを教えてもらいました、でもそのことを知らないで「ただ働く」のでなく、周りを見て、「考えて仕事をする」ように教えていただきました。時には、激しい情熱で・・・

いま、私はシェフに会っても恥ずかしくない仕事をしているでしょうか?  少し不安です。

— 自分がほんとうに何者なのか示すのは、持っている能力ではなく、自分がどのような選択をするかということ。
ハリーポッターと秘密の部屋より

会社を辞めるということ

none_img_column?? ? 2005.03.05

今まで 何回も会社を辞めました 。

1986年春、初めて勤めた会社を辞めると言うことを上司に伝えました。
初めてやめる事を経験したことで、感情があふれて涙、涙…。
今では考えられないほど純粋だった自分がいました。

米国からの輸入商品を扱う会社でした。
輸入した製品を日本のユーザーが使えるようにしていくことが仕事でした。

仕事はとても楽しかったのですが、初めての人間関係や、同族会社としての経営体制などが気になって、「長くは勤められないなー」と漠然と思ったものでした。

いい上司か、悪い上司か、いい会社か、悪い会社か。
今考えると、自分にとって、居心地が悪いだけだったのかもしれません。

やめることが決まっていたのは、次に行く会社が決まっていたからです。
もちろん、当時は準備万端整えてというわけにはいきませんでしたが、当時扱っていた商品の競合メーカーから幸運にも声がかかって、自分の中では少々浮かれ気味の転職でした。

次の仕事は、米国で製造された商品を日本法人が販売する形だったので、商品の未熟さを除けばあまり不満はありませんでした。
ただ、社会に出て2年ほどのわたしの経験の浅さでもわかる「商品の未熟さ」はいかんともしがたく、営業力で苦労しながらの販売でした。

前述の、初めて勤めた会社で扱う商品も 「 ライバル 」 として頑張っていましたが、そうこうするうち自分では今まで経験したことがないダイナミックな動きが本社で起こったのです。
M&A「企業の合併と買収」により、アメリカの本社が、その競合会社を買収してしまいました。

ここまでは、よくある話なのですが、自分にとって、あまり無いであろうと思われるのは、ここからです。

何を思ったか、私の転職先である日本法人の上層部は、元の私の上司をヘッドハンティングして受け入れてしまったのです。

当時、はっきり言って「一緒にはあまり働きたくない」と思って初めての会社を後にし、数年働いたところに、その「元上司」は、私のいた事業部の事業部長としてまた「上司」になって来たのです。

まさに、サラリーマンは、上司を選ぶことができない ! を地で行った話です。
さすがにこの話題は「赤い糸伝説」と呼ばれ今日、当時を知る人の間では、笑い話として伝えられています。

会社を辞めると、何かが自分の中で変わると勘違いしてしまうんですね。
また、何か自分の周りも変わって良くなると。
その「勘違い」になかなか気づかないまま転職を繰り返すことが多いわけです。

つまり、自分が変わらないまま、器 ( 会社 ) を変えても同じことが起こってしまう。早く気づきたいものです。当時も、ああ、彼は「外資渡り」だからね?、なんて話をよく聞きました。
イケイケどんどん、の時代は転職のたびに給料も上がるし、また、そんな転職を選べました。
振り返って、薬剤師も、薬剤師バブルと呼ばれるくらい需要のほうが大きいので引く手あまたの時代がありました。
ついこの前まで過ごした函館も、そんな地区のひとつです。(函館薬剤師会の方、ごめんなさい

でも時代は変わりますよ。
品質が本物かどうかが判断の基準になるし、なぜ、やめたのかも評判になる。
もっともこれは、雇う側も、雇われる側も同じですけどね。

 

いったん辞めると決めたら潔く辞めること。

 

辞めることを給料をあげる手段として使うなんてもってのほかですし、自分の代わりがいなくて困るんじゃないか、なーんて思うくらいなら 「 そんな仕事を自分がしているか 」 どうかを考える謙虚さが必要。
また「クビ」といわれたら引きずらない。いずれも自分が辞めることに当たって持ってきた哲学です。

 

いやなら辞めろ、辞めないなら何かを変えろ。

 

それでもどうしても辞めたい人は、 「 次の会社に初めて出勤する日の朝 」 の自分を想像してみてください。

スキップしてしまうほど楽しい気分になれそうなら、その転職はOKです。
辞めることを人のせいにしていると、私のように赤い糸体験をしてしまうかも知れませんよ。