人の話をよく聞きなさい

私が中学一年生の時に32歳の先生が担任になりました。

藤井昭夫先生といいます。もうこの世にはいません。

先生からは、私たちの仲間はいろいろなことを教わったと思いますが、振り返ってよく大きな定規でたたかれたこととか、拳骨(ゲンコツ)で思いっきり頭をゴンとやられたこととかそんな話題がいまだに繰り返されます。

わたしも拳骨でやられたほうですからよくその痛さは覚えています。その痛さは、今になって感謝しきれないほどありがたいのですが昨今の教育の報道などを見ていると、殴られたことを喜んで話す私たちは、「昔のヒト」の分類に入りつつあるのかな、と感じます。

一年生になってすぐだと思うのですが、藤井先生から、『 人の話をよく聞きなさい 』 と教わりました。

これは、今でも当時教わってよかったと思うことです。教えてもらって、もう35年たちますが、この間に人の話を聞けないことで不利益になっていく人をたくさん見ました。 たぶんその人たちは、中学の時に藤井先生に出会っていたら人生は変わったかもしれませんね。 真剣にそう思います。

自分たちが14歳のとき、校庭にタイムカプセルを埋めて碑を建て、20年後の再会を誓いました。いわゆる立志の集い。
「まさか20年後がこんなに早く来るなんて」という思いで再会する機会を作ってくれたのは、藤井先生とこの学年団の先生たちでした。

それからたった5年後、藤井先生は帰らぬ人となってしまいました。
もうすぐ10年が経とうとしています。

  • 藤井昭夫先生
  • 立志の集い
  • タイムカプセル

これらのキーワードでインターネット検索をしたらしっかりと結果が出るように記録したいものです。

■以下は、先生が亡くなった2000年11月6日に、私が同期のメーリングリストに投稿したメールです。
子供に人の話を聞きなさい、と藤井先生から教わったはなしを話すときなど、情景としていつも思い出します。

____________ ここから ____________

以前紹介した青春の詩をかなり意訳したものですがこちらの方がわかりやすい。

立志の集いのときに私がこの一行目を引き合いに出してお話ししたとき、大きくうなずいてくださった藤井先生を思い出します。
計画性がなく、行き当たりばったりだった私をよく導いてくださった先生に感謝です。

さとう
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若さとは
サミュエル・ウルマン

若さとは人生のある時期のことではなく、心のあり方のことだ。
若くあるためには、強い意志力と、優れた構想力と、激しい
情熱が必要であり、小心さを圧倒する勇気と、易きにつこうと
する心を叱咤する冒険への希求がなければならない。

人は歳月を重ねたから老いるのではない。理想を失うときに
老いるのである。歳月は皮膚に皺を刻むが、情熱の消滅は
魂に皺を刻む。心配、疑い、自己不信、恐れ、絶望——-
これらのものこそ、成長しようとする精神の息の根をとめてし
まう元凶である。

六十歳になろうと十六歳であろうと、人間の心の中には、驚異
に対する憧憬や、星や星のようにきらめく事象や思想に対す
る驚きや、不屈の闘志や、来たるべきものに対する子供のよう
な好奇心や、人生の喜びおよび勝負を求める気持が存在する
はずなのだ。

人はその信念に比例して若くあり、疑いに比例して老いる。
自信や希望に比例して若くあり、恐れや絶望に比例して老いる。
大地や人間や神から、美しさ、喜び、勇気、崇高さ、力などを
感じ取ることができるかぎり、その人は若いのだ。

すべての夢を失い、心の芯が悲観という雪、皮肉という氷に覆
われるとき、その人は真に老いるのだ。そのような人は、神の
哀れみを乞うしかない。

____________ ここまで ____________

話に、間 ( ま ) がない。間をとれない。

none_img_column? 2006.12.28

飛ぶ鳥落とす勢いで店舗を広げTVコマーシャルも、しゃれたものを流している衣料品会社に買物に行った時の話です。

私は足が人並みより短いので、ズボンの丈を(人並み以上に) 詰める必要がありました。先に会計し、そのための説明を聞いたわずかの時間の出来事でしたが、私にはその説明にものすごく窮屈さを感じました。

これでもかと、まくし立てるように、自分たちの都合による文言を並べますが、言いたいことだけを間断なく延々しゃべるので、こちらは、はい・はい、としかいえないのです。

つまり、「 話に、間 ( ま ) 」 がない。

間をとれないということは、相手の気持ちを考えた対応ではないんだなあという事を思い知らされました。

このお店での会計とおなじように、カウンターを挟んで患者さまに説明することが私にもよくあります。
話をするときは、自分に都合のよい言葉を並べるだけではダメで、相手の理解を確認しながら 『 間 』 をもたせないと、気持ちよくないものなんですね。

みなさんは薬をもらうとき、どこかの調剤薬局で、質問攻めにあったことはないですか ?

結果として、しゃべりすぎも 『 間抜け 』 と思われるので要注意ですね。 
本人は気づいてないけど、相手のひとは、心の中で、「 マヌケ… 」とつぶやいているやも知れません。

相手が聞きたいことを選んで話す。これは、まさにサービスのエッセンスですね。

…反省しなければいけない場面が多くあります。

2006.12.28

共感した文章

none_img_column? 2004.03.26

株式会社PHARMAVISION(ファーマビジョン)社は、毎月、Pharmavisionという雑誌を薬局に届けてくれます。薬局にお勤めの人はよく知っている雑誌だと思います。
【2009年注:2009年6月現在休刊中】

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私もこの雑誌を結構楽しみにしているひとりなのですが、その中にとても共感できる文章が載っていました。
私のこだわりと、とても細かい点で一致するものがありうれしくなって編集部にメールしてしまいました。

ぜひ紹介させてほしい。
出典もはっきり出しますから。

先ほど、この文章を書かれた高見様から晴れて全文引用紹介の許可をいただきましたので以下、ご紹介します。

 

『もしも、自分が患者だったならば…』

「かかりつけ薬局」を目指そう、「かかりつけ薬剤師」を目指そう。
これが今の流れだし、もちろんベクトルは間違っていようもない。
だが、あなた、ないしあなたの薬局を`かかりつけ`と認定するのは、他ならぬ患者さんや一般消費者である。
そこで、もしも、自分が患者だったならばと考えてみた。

店構えは小さくても古くても構わない。
外周りは手入れが行き届き、店内はよく整頓されていて、窓の桟やカウンターやコンピュータ、待合室におかれた椅子もTVも血圧測定器も、もちろん商品にホコリがたかっていないのがよい。
硝子越しに見える調剤室内は整理整頓がよく行き届き、明るく清潔そうなのがよい。薬品棚に入れた薬が乱雑なのはいただけない。
処方箋を持って薬局に入った時、自分がどこに行けばよいかすぐわかるのがよい。
できれば、薬局に入ったときに薬局のスタッフの誰でもよいから笑顔を向けてくれるのがよい。
客が来ても気がつかなかったり、スタッフ同士でお喋りに興じている薬局は願い下げだ。
BGMはあってもなくてもよいが、待合室に独りのときは低く流れていると安心かもしれない。
そして、待合室にあるトイレは是非ともいつもキレイであって欲しい。
スタッフが着ている制服は小ざっぱりしているのがよい。
応対する薬剤師は、患者が子供であろうと、耳の遠いお年寄りであろうと、例え慣れ親しんだ患者さんであろうと、タメ口をきいてもらいたくない。
調剤する姿はテキパキと無駄な動きがなく小気味よいのがよい。
調剤するのにトラブルが生じた時は、声かけをする気配りが欲しいものだ。
薬の説明をするときは、私の目を見、私の理解度をはかりながら、話してくれると嬉しいかもしれない。立て板に水の喋りはきっと耳を素通りするに違いないから。
だけど、たとえ私の目を見ていても、薬情の文言をそのまま読み上げるのは興醒めだ。
私がうまく説明できない時は、あなたは目を泳がせず、根気よく待ってくれれば落ち着いて話せるような気がする。
余り愛想がよすぎると、実がないと感じるのはアマのじゃくだろうか。
私が質問をした時に、あなたが適当にごまかそうとすると、私にはそれがあなたの素振りでわかってしまうということを覚えておいてほしい。
私の情報が詰まっているという薬歴簿というものをそこらに置いてあると、ちょっとイヤかもしれない。
後で調べておくといったことはきちんと報告してもらいたい。
例え私が重大な病気であったても、哀れまないでほしい。
あなたに率直な一面を見つけると、私はとても嬉しいと思うに違いない。

さて、あなたが患者だったら、どんな薬剤師、薬局がよいのだろうか?

【文責 本誌編集部 高見明子】
Pharmavision Vol.8 No.3 March 2004 P29

普通ということ

none_img_column? 2003.10.01

だいまる薬局は精神科の処方箋を主に受けています。

社会の偏見が見え隠れする科目ではありますが、私たちは何らフィルターがかからない対応を心がけています。

とにかく患者さまの求めを聴くことです。
そして普通に対応します。
「普通」とは、あたりまえに、あたりまえに、ということです。

薬を作る人が、渡す人が、偉いのではありません。
目線を同じく、ごく普通に接することで患者さまも特別なところに来たわけではないんだなと思ってくれるのではないでしょうか。

たまに、思わぬ要求がでることもありますが、なぜ、そんな要求が出るのかを考えます。
輪ゴムのかけ方、袋の大きさ、患者さまはなぜこだわるのかを考えます。

エラい薬剤師は「指導」するのでしょうが、私たちはまず聴くことからはじめたいと思います。聴くことで患者さまが何を求めているかがわかることと思います。

患者さんの話をさえぎって自分の言いたいことだけ言う薬剤師ってかっこわるいですよね。

医療では誰が顧客か

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ずっと疑問に思っていたことでした。

 

サービス業ではお客さまがいて、お客さまに思いを馳せてあれこれと動く。

これが普通の話です。
医療だってサービス業ですとは言ったもののお客さまって誰のことなんだろう。
そんな事がわからなかったんです。

試行錯誤の中で、「お大事にどうぞ。ありがとうございます。」
と言ったこともありました。でもなんか変でした。

私としては、数ある調剤薬局の中からウチの薬局を選んでくださってありがとう、というつもりでしたが、患者さまが具合悪くなって病院にかかって、院外処方箋をもらって調剤薬局へ行き、そこで「ありがとう」では、

『私が病気になってつらいのに、この白衣を着た薬剤師はニコニコしながらありがとうといっている。これではまるで自分が具合が悪いことでコイツを喜ばしているみたいだ』

と思われても不思議がないことなんですね。

そんなとき、ある勉強の場で、「患者さまは、つらくて病院にかかるわけですから、やはりお客さまではありえません。顧客はその患者さまを取りまく周辺の人々です。」と発言された看護師さんがいて、私は今までの疑問が氷解するような思いがしたことを覚えています。

患者さまがつらい思いを話してくれたときはつらい思いを共有・共感し、しっかりとその思いに耳を傾けて聴くことを大切なことと教えてくれた友人医師がいます。
まさに病医院と調剤薬局は同じ患者さまに接するわけで、患者さまが主役たりうる環境を作るのは薬局も同じなのです。

ついこの前まで、顧客として患者さまを見てきた自分を反省しつつ今、この文章を書いています。

2003.07.24