社長たるもの何に給料を払う ?

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だいまる薬局には現在 約10名 ほどスタッフがいます。

私(代表者)がサラリーマンとしてやっていた頃のことを思い起こしてみますと、給料は、定額が決まった日に自動的に入ってきて当たり前でした。なおかつ、評価や考課があったわけでもなくただ薬剤師であるという事で給料の額面も決まっていたような事だったと思います。

時代は変わり、自分が給料の計算をする立場になってはじめて経営者が何を求めて給料の計算をしているのかという事がわかりはじめました。

ある知り合いの社長さんは、こう言いました。 『 私は給料日になるとがっかりする。なんぼ経費節減だ、節約だ何だと言ってみてもXXXにこの給料を払うことがイチバンの無駄遣いだ! 』

リアルですね?、過激ですね?。

もし面と向かって言われたら気絶するかも知れませんね?。

でも、コレが世の社長さんが思っているホンネかもしれませんね?。

ところで、だいまる薬局における人事考課なんてのは今のところありませんが、せっかく上記で世の中の仕組みの一端を紹介したのだから、私が本音でコレができたら給料をあげたいと思うこと ( キーワード ) を思いつくまま羅列しますね。

  1. 愛想よい笑顔
  2. 感じよい声のトーン
  3. 敏感に察する能力
  4. 俊敏な動きができる構え
  5. 何事も気持ちよく進んでできる準備
  6. 周囲への気配り
  7. 慎重な言動
  8. 自分のお金を使える潔さ
  9. 私が中心にやりますというリーダーシップ
  10. 舞台に上がる心構え・演技

なんだ、いつも言われてることじゃないか、とおもったアナタ…。
続いて、ある女性経営者の口から出た言葉をご紹介します。

『 冷庫に冷庫の機能を求めちゃダメなのよ。冷蔵庫は冷やすため、冷凍庫は凍らせるために使わなくちゃ。 』

つまり、その人が持っていない機能を求めてはいけないという事の核心を突いた言葉なのですが、私は冷蔵庫や冷凍庫はそうだろうけど、人はもっと変わることができるのではないだろうか、と思う今日この頃なのです。

問題は、気づき。 気づきがあれば人間は変われると思います。 若い人は我々のような年代の人間よりはるかに有利です。
では、気づきをどうすれば得られるんでしょうね。視点を少しだけ変えてみましょうか。

数日前、だいまる薬局の待合室のいすにボールペンで15cmくらいの線が引かれていました。いわゆる落書きではなく、なにかの腹いせ?とおもわれるようなものです。

線が引かれていた、と報告するのが 気づき、じゃないんですよ。

なぜ椅子にわざとらしい線が引かれていたか、病気がそうさせたのかもしれませんが、その前後何か気に食わない対応があったのではないか、気に入らない掲示の文言があったのではないか、われわれの接遇は充分であったか、もしかしたら言葉が不適切ではなかったかのか、タイミングが悪かったのではないか。

もしかしたらどれもあたってないかもしれませんが、こうやって考えることが次の気づきにつながるはずです。

ボールペンでかかれた椅子は一脚たいした値段じゃないんです。その後、破壊されたら買い換えればいい。でも破壊され続けないように考えることに自分の給料の価値があると考えてくれたら 上記の社長さんの憤りも、少しは減るハズです。

なぜ? を考えて、気づきを得てみませんか。

私だって、最初から社長であったわけではないです。社長的に物事を考えてきたから、なんとなく今、社長をしてるんですから。

遊んでばかりではありません…

だいまる薬局の社員旅行を富士山登山にします。

と、薬局で私が話したら、チームアラフィフ中心にほぼ全員拒否反応を示しておりました。

一人社員旅行というわけにはいきませんが、ここでやめるわけにはいきません。
こっそり、富士登山ご来光ツアーを敢行してきました。

ご来光を見て、ふと真後ろを振り返ると、富士山の影が雲海に浮かんでいました。影富士というらしいです。

札幌を金曜の17:12に北斗星で後にして、高まる期待のなか登頂成功したのが翌々日、日曜の朝5時すぎでした。

まさかいまどき、富士山を精神修養の場にするつもりはありませんが、これほど雄大という言葉がぴったりする風景、景色はなかなか見られません。

偶然といえば、こんなことがありました。
上記の写真は、登頂当日の朝に浜松方面を撮ったものです。
当日私が過去に勤めていた病院の院長が浜松に出張中で、宿泊先の高層ホテルの窓から早朝富士山を眺めていた、という事をあとで聞きました。

もしかしたら、目が合っていたのかも。。。(ソンナハズナイ)

旅の様子は、フォトアルバムで、公開しています。

小さな喫茶店–シェフに教えてもらったこと–

none_img_column??? 2005.03.28

T子?です。

レストラン修行時代、シェフに多くのことを教わりました。
少しずつこのホームページで紹介していこうと思います。
自分に対する他人の評価というのは、時によって、とても厳しく、自分の能力以上の事を求められることがあります。

それは小さい組織になればなるほど求められるものだと思います。

小さい組織は、そこを経営している人にとって、なにかしら思い入れがあっての仕事だとおもいます。もし、そこから自分がいなくなったときにどういう状況か、というのはとても心配なことだと思います。

例えばここが小さな喫茶店だとします。

店主はいつも丁寧にコーヒーを入れ、手作りのお菓子を毎日作ってお客様に喜んでもらえるようがんばっていました。
そんな評判がいつのまにか街に広がってどんどんお客様が増えてきています。
うれしいことですが、店主はひとりでは大変になり、人を雇うようになりました。
その従業員に一つひとつ自分のやり方を教えて、仕事を任せられるようになり、店主も少し安心していました。
そしてある日、店主は大事な用事で店を離れなければならなくなりました。
そこでその従業員に任せて外出しました。しかし、いつもはきちんと仕事をしていた従業員も、いつもの厳しい目がなくなると、本来の自分がでてしまい、少しずつ手を抜いて仕事をしていました。
あるお客様は、 「 店主のコーヒーが飲みたい 」? と帰ってしまいました。
しかし、ほとんどのお客様はその従業員の入れたコーヒーを 黙って 飲みました。

店主は店を離れた不安でいっぱいながらも、戻ってきた時に何事も無く店が営業していることを見、安心して、またいつものようにコーヒーを入れお菓子を作りました。

ところが、何度かそんなことを繰り返すうち、いつのまにか、いつも来ていたお客様が来なくなっていました。
そして、そんなある日、店主は噂を聞きました。

『 店主がいない間のコーヒーはとてもまずく、味が落ちたね。』 と …

つまり、店主は従業員に仕事の方法は教えられても、店主がこれまでにどんな想いで小さい喫茶店を守ってきたのかを教えることはできなかったのです。その結果、毎日、毎日、努力をして少しずつ増えたお客様をそんな一瞬で失ってしまっていたのです。

その従業員は何の苦労もしないで「方法」だけを教えてもらった結果、『仕事をこなす』ことはできてもそれ以上のことはしようとはしませんでした。

もうすこし店主の努力、つまり想いとか、思い入れを分かろうとしていたならこんな結果にはならなかったのではないでしょうか?

当時、私たちはシェフがどんな想いでレストランを開きお客様を迎えていたかを教えてもらいました、でもそのことを知らないで「ただ働く」のでなく、周りを見て、「考えて仕事をする」ように教えていただきました。時には、激しい情熱で・・・

いま、私はシェフに会っても恥ずかしくない仕事をしているでしょうか?  少し不安です。

— 自分がほんとうに何者なのか示すのは、持っている能力ではなく、自分がどのような選択をするかということ。
ハリーポッターと秘密の部屋より

ただ、渡せばいいというものではない

none_img_column  2004.04.14

この日曜日、近郊の日帰り温泉施設に行きました。雑誌では、いつも上位にランキングされる施設です。いつか行ってみたいと思っていました。

そこのレストランで食事をしましたが食器(器)の汚れが気になり少々興ざめた思いがしました。

私が、こんなことを気にしすぎなのかもしれませんね(^^)。
でも、気になるとほんとに気になるものでして、致し方ない。
食事を提供するということは、単に空腹を満たさせればいいということではないでしょう。

利用する立場で、いつも、思うことは、気持ちよく食事(利用)したいし、お金を払うとか、その施設を使うということは、もしかしたら偶然そこを選んでしまったのかもしれないけど、選んだからには何か満足するものを求めるわけです。
ささいなことでもいいんです。

それはたった一回のやり取りの中の、笑顔かもしれません。

こんな例は先週の日曜日にもありました。1時間半待ってやっと食べられる回転寿司のお店があります。
寿司を食べ終わっていざ会計というときに、係りの女の子が『そちらのお皿よろしいですか』というのはどうでしょう。
よろしいですか?という意味は、テーブルの向こう側の皿を会計の私の方にとってよこせということなんです(皿の数を数えるために)。
これで二回目なので、この店のシステムだということは確信しました。

前にも書いたかもしれませんが、

『お客さまが望むことは我々にとって面倒なこと。我々が効率的にやろうとすることはお客さまにとって苦痛なこと。』

この意識をサービスを提供する側が持たないといけません。

薬だって同じです。どこからもらっても同じ薬なのに自分の店からもらってほしいと願う。ならば、自分たちはその患者さまに何をしてあげられるか自分だったらどうしてほしいか、これを考えなければいけませんよね。

そこで、

ただ、薬を渡せばいいというものではありません。

共感した文章

none_img_column? 2004.03.26

株式会社PHARMAVISION(ファーマビジョン)社は、毎月、Pharmavisionという雑誌を薬局に届けてくれます。薬局にお勤めの人はよく知っている雑誌だと思います。
【2009年注:2009年6月現在休刊中】

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私もこの雑誌を結構楽しみにしているひとりなのですが、その中にとても共感できる文章が載っていました。
私のこだわりと、とても細かい点で一致するものがありうれしくなって編集部にメールしてしまいました。

ぜひ紹介させてほしい。
出典もはっきり出しますから。

先ほど、この文章を書かれた高見様から晴れて全文引用紹介の許可をいただきましたので以下、ご紹介します。

 

『もしも、自分が患者だったならば…』

「かかりつけ薬局」を目指そう、「かかりつけ薬剤師」を目指そう。
これが今の流れだし、もちろんベクトルは間違っていようもない。
だが、あなた、ないしあなたの薬局を`かかりつけ`と認定するのは、他ならぬ患者さんや一般消費者である。
そこで、もしも、自分が患者だったならばと考えてみた。

店構えは小さくても古くても構わない。
外周りは手入れが行き届き、店内はよく整頓されていて、窓の桟やカウンターやコンピュータ、待合室におかれた椅子もTVも血圧測定器も、もちろん商品にホコリがたかっていないのがよい。
硝子越しに見える調剤室内は整理整頓がよく行き届き、明るく清潔そうなのがよい。薬品棚に入れた薬が乱雑なのはいただけない。
処方箋を持って薬局に入った時、自分がどこに行けばよいかすぐわかるのがよい。
できれば、薬局に入ったときに薬局のスタッフの誰でもよいから笑顔を向けてくれるのがよい。
客が来ても気がつかなかったり、スタッフ同士でお喋りに興じている薬局は願い下げだ。
BGMはあってもなくてもよいが、待合室に独りのときは低く流れていると安心かもしれない。
そして、待合室にあるトイレは是非ともいつもキレイであって欲しい。
スタッフが着ている制服は小ざっぱりしているのがよい。
応対する薬剤師は、患者が子供であろうと、耳の遠いお年寄りであろうと、例え慣れ親しんだ患者さんであろうと、タメ口をきいてもらいたくない。
調剤する姿はテキパキと無駄な動きがなく小気味よいのがよい。
調剤するのにトラブルが生じた時は、声かけをする気配りが欲しいものだ。
薬の説明をするときは、私の目を見、私の理解度をはかりながら、話してくれると嬉しいかもしれない。立て板に水の喋りはきっと耳を素通りするに違いないから。
だけど、たとえ私の目を見ていても、薬情の文言をそのまま読み上げるのは興醒めだ。
私がうまく説明できない時は、あなたは目を泳がせず、根気よく待ってくれれば落ち着いて話せるような気がする。
余り愛想がよすぎると、実がないと感じるのはアマのじゃくだろうか。
私が質問をした時に、あなたが適当にごまかそうとすると、私にはそれがあなたの素振りでわかってしまうということを覚えておいてほしい。
私の情報が詰まっているという薬歴簿というものをそこらに置いてあると、ちょっとイヤかもしれない。
後で調べておくといったことはきちんと報告してもらいたい。
例え私が重大な病気であったても、哀れまないでほしい。
あなたに率直な一面を見つけると、私はとても嬉しいと思うに違いない。

さて、あなたが患者だったら、どんな薬剤師、薬局がよいのだろうか?

【文責 本誌編集部 高見明子】
Pharmavision Vol.8 No.3 March 2004 P29