A社の常務だった人

だいまるコラム

20年くらい前にお世話になったA社の常務さんとお話しした事を思い出しました。

Kさんは、創業メンバーでA社の事をこよなく愛する人でした。

おはなしをしていても、それがひしひしと伝わってきます。

朝は、誰よりも早く出社して清掃から仕事の準備まで一通りのルーティンをこなすそうですが、その朝が、7時前(笑)と、早い。

もう習慣だから、といいます。

習慣にするためには、会社がスキ!だったんでしょうね。愛にも似たスキです。

結果会社は大きくなって益々繁栄。

周りの職員は、その時間の常務を知らないでしょう。

ビデオを撮って見せたいのは、私であって、常務ご本人ではない。

ヒトは、見える部分だけではないんだな、と思った瞬間です。

周りの人は常務(の見えない努力)を見えない・知らないが、

常務は、周りをしっかり見ている。

業務をこなしさえすれば、始業に間に合いさえすればいいと考えるのもひとつの考え方です。

でも、20年前にこの話を知ったわたしは、知ってたゆえに「この20年間」幸せだったと断言できます。

会社を大きく拡大することに幸せを感じない自分に気づいたのも、大きいところを知ってた故かな、と思っています。

ひとの話を聴けるひと

だいまるコラム

数年前、接待がまだあったころのはなしです。

初めてわたくしと食事するMRさんは、一生懸命自分の事ばかりお話ししてた。

ふんふんふんふん、と相づちをうってわたしも一生懸命はなしを聞いてた。

ただ、今となっては、何を話していたか、ただの一文も思い出せない。

帰って、疲労感だけが残ったのをこうして覚えているだけであるが、あれはなんだったんだろう。

ある意味、幸せなMRさんであった。

今で言うなら、空気を読めないMRさんだった、といったところだろうか。

あの人になら、話しやすい、話せる、というべきヒトが身の回りにも何人かいる。

共通するのは、過激な事を言わず、懐深く、話題をそらせず、中庸を心掛けていて、我田引水がなく、かつサービス精神の旺盛なひとである。ヒトの話をとっていかない。

たぶん、素直なのだとおもう。

たぶん、相手を想いやる気持ちがあるのだとおもう。

わたしが思うに、そんなひとは、人生をひとの何倍も楽しんでいるのではなかろうか。

おれがおれが、と、自分の話をひけらかすのではなく、一緒にいて、あいてをおもいやり、相手を楽しくさせるすべをもっている。

そんな人は、きっといい話が舞い込んでくるでしょうね。

ゴールデンルールはそんな人のために、あって当然でしょうね。

 

 

ロヒプノールの錠剤の色が変わった事について

だいまるコラム

世の中には、患者さまにとっても、われわれ薬局経営者にとっても少しも利益にならない話がたくさんあると思うのですが、その一例としてロヒプノールの錠剤の色が、白から青に変わったハナシ。

こん睡強盗対策だっていうんだけど…

精神科の薬を服用しているかたにとって、剤形が変わったり色が変わったりすることはとても神経をすり減らすハナシなんです。

これは、なかなか理解してもらえない。

しかも、いわゆる後発品、いわゆるジェネリック、最近死語のゾロ、に変わる事の重大性は単に精神的なもの、ではなく実際に効き目の変化を感じる方たちがたくさんいるという事実に私たちもびっくりします。

その不利益は患者さまだけでなく、機械をつかって調剤する場合の錠剤カセットといわれるパーツを作り替えなければいけないようなサイズの変更の場合おおきな費用負担となるのです。

メーカーはその事を知ってか知らずか色のみならず、サイズまで変えてくるんですよ。

実に迷惑な話です。

大体、メーカーは、何のためにパッケージ変更したり、剤形変更したり、バーコード追加してみたり、名称変更したりするんだろう。もちろん、ロヒプノールに限らず事細かに理由はあるのでしょう。

わたしは、返品できなくする、自社製品の売り上げアップを図る、それに尽きるのではないかと(極めて偏見とおもうけど)そう思わざるを得ないですね。そんな変更をするメーカーは嫌いですから(笑)。

シカタナイ

しかたないけど、翻弄されるのはいつも弱いモノばかり。こん睡強盗なんてそうそういないですって。

やはり函館はダメな町だと思う

だいまるコラム

期待を込めているので、タイトル通り読まないでほしい。

私は、実は、上磯で生まれ育ったから函館が嫌い、といっているのではないのです(笑)。

すくなくとも、郡部といわれようとなんであろうとそこを含めた函館圏がすきなんだけど、函館の一部のサービスがなってないと常々おもう、というそんな話です。

十数年ぶりにお会いする、懐かしい方と待ち合わせしました。
たのしかったなあ。
いっしょに働いていたころの昔話、ご先祖繋がりの話、現在の店の経営者の話、やはりあいつは騙されたか、といったたぐいの話。
一瞬にして十数年間が縮まるあの感覚を久しぶりに味わいました。

さて、場所は、私が指定しました。駐車場がたくさんあるから(笑)。

コーヒー一杯750円は高いけど、ホテルだし、おかわりしても750円だし。
と思った私がダメなやつなのか、
それとも、飲んだだけ750円の倍数になる仕組みがダメなのか。

高かった(笑)。

函館のダメなところは、だまってても観光客が来るからか、食べ物はまあまあだからか、「サービス業と言う概念」が存在しない位に、バカバカしいくらいにサービス提供者側が偉いところかな、と思います。いいふりこきのしらみたかり。中身が伴わないえらい人は嫌われますからね!

新幹線が開通するといって浮かれてる姿を見ると哀しくなります。15年後には、がらがらの通過駅になってしまわないか。
よく私が出張でいく他の地域とはサービス提供人としてのレベルが違い過ぎます。あわれなくらいに、いいふりこきのしらみたかり

この前は、たのしかったね!と頂いたメールの最後に「国際ホテルのコーヒー高かったですね」ってかいてて(笑)。

もし、コーヒー出してくれた女の子が「どちらからいらしたんですか?」と聞いてくれたら、女の子にチップ3000円あげても良かった。(おじさんとしては、安い出費です)

つまんないこと書いてるな、オレとおもいながら、ここまで書いて、やっと言いたい事がわかりました!
そうそう、つまり、サービスが伴えば、決して高くない金額が、座って時間を費やしただけなのに、と思ったら、場所代として高かった!ということなんです。

でも、これが函館の文化だと開き直ってほしくは無いですね。うまいものを出すだけの居酒屋、浴室が立派なだけのホテル、は、ダメです。

古い薬剤師免許証

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わたくしの、祖父の兄は薬剤師でした。

縁の方から資料を拝借しましたのでここに紹介したいと思います。

祖父の兄は佐藤宗助(Ⅲ) ※といいます。

さらに、遡って、祖父の父も養子縁組。その名前も佐藤宗助(Ⅱ) ※。

祖父の祖父の名前も、佐藤宗助(Ⅰ) ※。 ※    ( )の中は継いだ順。

つまり、祖父の兄も、祖父の父も、祖父の祖父も、宗助。
ややこしいです。

どうして?とおもって戸籍をとったところ、襲名というやつでした。旧制度の、家長は宗助を名乗ってたんでしょうね。

昭和9年に函館大火があって市役所の戸籍はほとんどさかのぼれませんがイメージだけはつかめました。

宗平=宗助(Ⅲ)

古い薬剤師免許証(及第之證)は、今のように厚生労働大臣の名前ではなく、陸軍の足立 寛 の印が押してあります。

北海道平民。なんか、古い感じがしますね。

宗助(Ⅲ)免許証   … 学説試験のあとに実地試験。当時はたいへんだったでしょう。

実家に、祖父(次男)の写真がありますが、この宗助お兄さん(Ⅲ)の写真とたいへん似ています。

このあたり血が濃いです。

佐藤宗助(Ⅲ)

宗平、宗次、三男は宗三郎。

宗平は 家を継ぎ、

宗次は 上磯で薬店をやり、

宗三郎は 谷地頭電停前 (海側)で薬店をやったようです。
最近古地図を見て発見しました。キク薬店。

谷地頭キク薬店佐藤宗三郎

【キク薬店】大日本職業別明細図1933年【昭和8年大火前】8月1日出版:東京交通茶社

残念ながら、大〇佐藤薬舗は宗助(Ⅱ)の死後、人手に渡ってしまいましたが、その後も建物は昭和九年の大火まではそのまま地蔵町52番地にあったようです。

さきほど、ネットで、函館地蔵町の小島大盛堂前から東側を撮った、総天然色(笑)の絵葉書をみつけました。

地蔵町(昭和初期大火前)

市電の線路があって、中央に電車(市電)がみえます。その右手の白い壁の三角屋根の建物は、このページの建物です。
真向かいが及能商工会社。現在の及能株式会社の住所は豊川町。~~地蔵町は、いまの豊川町なんですね。

左手のピンクの建物は 函館新 と、読めます。函館新聞社です。大火前の地図と照合したので間違いないとおもいます。

佐藤の姓は佐藤宗助(Ⅰ)から、養子縁組で今に至ってます。
宗助(Ⅱ)は、新潟から。
宗助(Ⅲ)は残念なことに他の家に養子縁組して改姓してしまったので、次男である私の祖父が佐藤を名乗ってます。
戸籍法も変わり、戸主が宗助を名乗る事もなくなりましたが、子供が無かった祖父は、わたしの父を養子縁組で佐藤の姓に入れました。
わたしも縁あっての佐藤なんですね。

宗助(Ⅰ)、宗助(Ⅱ)の位牌がうちにあります。子供のころから、なぜ、長男じゃないのにうちにご先祖様の位牌があるのか不思議に興味を持っていたことを思い出します。

今年のお盆、思い立って、昭和の初期に祖父が200円で購入したという仏壇と、家紋が入った位牌を収納するものを、修復することにしました。

買うよりはるかに高い修繕費ですが、これも私の役割なのでしょう。

勉強が、あまり好きじゃなくて、思いつきで薬剤師になった私です。

しかし、これも何かの縁に支えられて今があると思ってもう少し役割を果たしてみようかなと、思います。