よい習慣を身につける

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仕事を覚えるということはまねをすることだと思います。
習うより慣れろとはよく言われることですが、自分の過去を振り返って、薬局の仕事も「習う」よりは「慣れろ」、の類でした。

私をはじめ、中途採用の場合、ときに「自分の過去のやり方」の方がいいと思うことはたくさんあるでしょう。でもそれはぐっと我慢して自分の中に秘めておいた方が良い場合が多いですね。

まず、周りを良く見渡し自分の今までの仕事の仕方と同じ所をみつけ、違いを把握します。
その上で、慣れる。ぐいぐいと自分を押し出すのはずっと後でいいと思います。
もっとも、自分の場合は過去タイミングをはずした例が多々ありますけど(^^)。

仕事の進め方、物事の考え方については良い習慣を身につけるということがもっとも大事なことだと思います。

今までにいろいろな人と一緒に仕事をしてきました。
すごいな?と感じるのは、「型を習慣で身につけている人」には違和感がないということです。
逆におかしい時もすぐに感じます。
特に患者さんとの接遇に難がある人は「すぐに自分の身を守ること」に腐心してしまうので、強く違和感を感じます。

良い習慣も、悪い習慣も、どちらでも選べるということに ( 選択自由 )、早く気づくべきです。

同じ慣れるなら、よき習慣をもって仕事に慣れる事が大事なのはいうまでもありません。

日本語が通じない人、多くないですか?

【2009年、記事の引越し中です】

 

T子です。

以下の文は、私が最近、若い人(まだまだわたしも充分若いのですが)特に働いた経験が浅い人に対して思うことです。

経験や知識も様々異なる人たちが同じ職場・会社で働くことにおいて大事な事は何だろう? と考えてみました。

現在はコミニュケーションの手段として携帯電話やメールがよく使われています。今では小学生くらいから携帯電話を持っていて、いつも話したい相手が必ず出てくれる携帯電話やメールは、好きなときに自分の都合で呼びかけができます。
そこには相手の都合は関係なくなってしまいました。
とても便利ですが、一方では、それがために、社会人になるために学ぶべき一般常識的なことを学んでいない人が増えいるような気がします。

みんな、使うべききちんとした言葉をどんどん忘れていないでしょうか。

  • 会社に来客があったとき挨拶が出来ない
  • 会社にかかってくる電話に出ても満足な対応が出来ない。
  • 特にメールは自分の好きな時間に書いて、好きな時間に読み相手に気持ちは文字面でしかわからないので、きっと自分のいいように解釈する。
  • もしかしたら、怒っていたかもしれないのに「たいしたことないよ」と。

メールというのは、実際に話していないのですから、お互いがどんな感情でいるかはわかりませんよね。しかもメールは返事をしなければそこで関係を終わりにすることも出来るのです。

人間と人間との関係はそんなにうすっぺらいものでしょうか?

テレビを見ていて最近、友達がいないという若い人の話を聞いたことがありますが、きちんとコミニュケーションが取れないで、自己完結してしまう人が増えているのではないでしょうか?

わたしが子供のころは家の電話か手紙が連絡をとる手段でした。お友達に会いたいとき、そのお友達の家に電話をかけます。でもそこにはお友達の家族が住んでいます。すぐに目的の友達が出てくれるとは限りません。
お父さんやお母さんが出たときには“こんにちは○○と申しますが、●●さんいらっしゃいますか?”とたずねますし、夜遅い時間になれば“夜遅くにすみませんが”と一言付け加えたりします。

長電話をしていれば他に電話がかかってくるかもしれないから、と叱られ気を遣います。
そういった日常生活の中から、目上の人たちに使う言葉や使ってはいけない言葉を学んでいきました。

私たちは「家族」という一番ちいさな会社に所属しています。今はおじいさん、おばあさんが一緒に暮らすといったことはないかもしれませんが、やはり、お父さん、お母さんがいて子供が2人くらいは普通でしょう。
そこでもやはり家族内でのルールがあると思います。

お父さんは今でも社長でしょうか? (そうあって欲しい…)お母さんは課長くらいの役割をもっているでしょうかね。そうなると子供たちは社員ですね。
お父さんの言うことを子供たちに伝えるために、お母さんはきちんと噛み砕いて説明してくれます。同じ言い方で解らないようなら別の言い方を考えるでしょう。
そうやって理解していく言葉が増えていくような気がします。同じ意味でも“おはよう!”と“おはようございます”では受けた印象がちがいますし、使う用途も違ってくると思います。
お父さんは“おはよう!”と家族に言うかもしれませんが子供たちはもしかしたら“おはようございます”とお父さんやお母さんに言っているかもしれません。
このちいさな社会の中で他人とのコミニュケーションの仕方を学ぶのです。
敬語は日本語にしかない言葉です。日本ではそれだけ場面場面で言葉を使い分けていたのでしょう。
話さなければ言葉も覚えないし、使い方も解らなくなる。相手があるから会話が出来る。

以前、FAXで退職願を出した人のことが話題になっていました。しかし、今や、それをメール・携帯電話で実際に送っているのです。携帯やメールは簡単な連絡をとる手段としてだけ使ってほしいと思います。

きちんとした自分の言葉で、相手にわかるように伝える。このくらいは出来るようになってもらいたいですね。

自分に負荷をかけてますか?

薬剤師は、とかく「暗い」人種、と言われがちです。

その理由を考えてみると、人を相手にしているのか、ものを相手にしているのかという事に行き当たります。
だいまる薬局では薬局はサービス業として定義していますから、少なくともそこで働く人はヒトを扱っているという思いがどこかにあるはずです。

  • まず店内に入ってきた患者さまの名前を反復してみる。
  • その患者さまがどんな薬を飲んでいるか?
  • 前回どんな話をしたかを思い出す努力をしてみる。

そんな負荷を自分に対してかけてみるのも悪くは無いとおもいませんか?

自分のなかで
『 ここまで !? 』 と線を引く仕事ってつまらないものであるという感覚を大事にしたいと思います。

そもそも、私は薬剤師ですが、何を「売り」にできるのか改めて考えるのもいいと思います。聞かれなければ、そう問われないと、なかなか考えないものですしね。

最近、そんな機会に恵まれました。
だいまる薬局の得意なものって何ですか ? と問われ、 『 精神科 』 に強いです、と強がってみました。
『 患者さんを怒らせないことです 』 と、また強がりました。
ほんの少しの経験を誇張(^^)するとき、これから実際にそうなってなければウソつきですから、これもそうなろうと、負荷をかけることになります。

背中をぽんと押されたら、走り出すべきです。結果がついてくると信じるのも悪くないですから。

次の人に感謝されよう

none_img_column?? ?2005.09.13

私は増えてきたスタッフに対し、仕事がチームで行われるときは、いつも 「次に仕事をする人の事を考えて仕事をしよう 」 と言うことを伝えています。

自分が、ある仕事の流れの中の一部分を担当したら、次にその仕事を受け持つ人に対して、流れを止めないように、また、その仕事を引き継ぎやすいように、相手を思いやる心や気持ちを大切にしたいということです。

たとえば、一声かけて、互いに声をかけ合って仕事をしよう、ということもそのひとつですし、自分のパートはここまで、と言わんばかりにやりっぱなしにすることはダメですよ、ということもそのひとつです。

処方箋がたくさん受け付けられた時の調剤室の中はとても忙しくて、一度に何枚もの処方箋の調剤が平行して行われ、とかく混乱するものです。

そのたくさんの調剤を管理するのは容易ではありません。

しかし、その流れをしっかり作るためにはスッタフ相互の意思の疎通や、次に仕事をする人に感謝されるような確実・着実な仕事が重要だと思います。

また、システマチックに一連の物事が運ぶためには、途切れない流れを作り、流れの途中で発生する突発的な出来事に対して柔軟に対応できるだけの 「 余力を持たせる 」 事が大事です。

チームワークと言うのは、次の人を思いやり、受け持つパート同士お互いに尊重しあえる仕事のことをさすのではないでしょうか。

「これ誰やったの?」というとき、その後に続く言葉は、「いい仕事だね」と言われたいものです。

責任は明確にしたい

none_img_column???? 2005.08.25

あるとき、薬局内で問題が起こりました。

重大な間違いでしたが、この時点から先にもし万が一進んでいったら、重大以上の深刻な問題に進みそうな間違いでした。
担当者には厳重注意と相成るはずでしたが、担当者が特定でません。
誰がやったのかどうしても自己申告以外に確認できない、わからない。。。

患者さまへの謝罪と病院への報告が済むと、社内ではこちらのほうが問題になりました。

薬局内では、これをきっかけに、調剤録や、作業伝票に全ての過程でシャチハタなどの印鑑を押印するという約束事が出来上がりました。
このことで、「誰がやった仕事なのかがわかる」仕組みをつくることができ、仕事の過程においてその段階を仕上げたのは自分だという責任を持たなければいけないという、意識の改革につながったと思います。

朝礼でも話題にしましたけど、最後に責任を取るのは店長、その上に社長。
でも一つ一つの過程をしっかり責任を取ることで間違いは飛躍的に減るものです。
精神論では間違いは減りません。

いかにしたら、間違わずに済むのか ? という問いかけを自分自身にし、その可能性を排除する仕組みを作ることがとても大事なことだと思います。

そして、もうひとつ、だいじなこと。
それは、誤りに気づいたときに、 『 すみません 』 と心から素直に言える心構えだと思います。
チームワークのためにはぜひ用意したい言葉ですね。