100円を稼ぐということ(2009年改)

none_img_column??? ? 2005.03.29

子供のころ商売をやっている親にから『 100円を稼ぐということがどんなに大変なことかわかるか ?? 』 と言われてきました。

自分が商売をやって、初めてこの言葉の意味がわかったような気がします。

つまり、100円を 「 給料としてもらうこと 」 はたやすいことでも、自分が 「 その100円を稼ぐ ( 得る ) 」 ということは、こんなにも難しいんだということです。

  • 100円を得るための仕組みを考え、
  • 働き、
  • 廻りに気を遣い、
  • 仕入れ、
  • 支払いをし、
  • 残った中から税金を払い、

そして最後に残ったものが「100円」なのです。
みんな、普通にやってることなのですが、大変な思いをしているんだろうな、ということがわかりました。

ちゃんとやってない人も見てきました。
稼ぐけど支払わないという技(ワザ)も実際に見ました。債券を買うとか、不渡りになる小切手を買うとか、こういうふうに使う知恵もあるんだというのを見ました。表の顔がしっかりしていれば、世界に輪を広げる〇◆△クラブの幹部をもやれるんです。

いやー、すごい、すごい。
見聞きした事例に共通しているのは、税金は払わないという方針。

いろいろな方がいますけど、だいまる薬局は、税金をしっかり払います。ちなみに、2005年1月が有限会社だいまる薬局の第一期決算にあたります。

黒字か赤字か ? ギリギリのせんで、大問題でしたが、ある人から 「 会社を大きくするなら黒字を出して税金を払うべきだ 」 ということを教えられました。
また、逆も真なりで、家族経営に徹するならぎりぎり黒字とか、ぎりぎり赤字などと、やり方はいくらでもあるようです。

ただ、私は支払うべきものは支払うという方針をとりましたし、発展させたいという希望を持っていますので、黒字を出すように努力しました。

「 税金の支払い義務を全うせずして、社会的信用なし 」 ということです。

税金を支払うための現金を銀行からおろすことを考えると、胃の辺りが きゅーっ とするのは、やせ我慢の証拠かもしれません。 
もう少し口座に現金を残したい…今日この頃ですし、まだまだ、サラリーマンで「楽剤師」をして、ただただ毎月決まった日に給料を頂いていたときのほうが収入は「 はるかに多い 」のです。

ただ、今、過去との違いを感じるのは、100円を稼ぐ大変さを身につけたら、もっと発展させることができるのではないか ? という希望をもてること、大変さがやりがいにつながるという希望をもてることです。

会社を辞めるということ【2009年改】

none_img_column ? 2005.03.05

今まで何回も会社を辞めました

20年近く前、初めて勤めた会社で「辞めると言うこと」を当時の上司に伝えました。
初めてやめる事を経験したことで、感情があふれて涙、涙…。今では考えられないほど純粋だった自分がいました。

米国の商品を扱う会社でした。輸入した製品を日本のユーザーが使えるようにしていくことが仕事でした。仕事はとても楽しかったのですが、初めての人間関係や、同族会社としての経営体制などが気になって、「長くは勤められないなー」と漠然と思ったものでした。
いい上司か、悪い上司か、いい会社か、悪い会社か。

今考えると、自分にとって、居心地が悪いだけだったのかもしれません。

やめることが決まっていたのは、次に行く会社が決まっていたからです。もちろん、若気の至りで準備万端整えてというわけにはいきませんでしたが、当時扱っていた商品の競合メーカーから幸運にも声がかかって、自分の中では少々浮かれ気味の転職でした。

仕事は、米国で製造された商品を日本法人が販売する形だったので、商品の未熟さを除けばあまり不満はありませんでした。ただ、社会に出て2年ほどの経験の浅さでもわかる「商品の未熟さ」はいかんともしがたく、営業力でにおいて周囲から助けられながらの販売でした。

初めて勤めた会社で扱っていた商品も「ライバル」として頑張っていましたが、そのうち自分では今まで経験したことがないダイナミックな動きが本社で起こったのです。
M&A「企業の合併と買収」により、アメリカの本社が、その競合会社を買収してしまいました。

ここまでは、よくある話なのですが、自分にとって、あまり無いであろうと思われるのは、ここからです。

何を思ったか、日本法人の上層部は、元の私の上司をヘッドハンティングして受け入れてしまいました。

当時、はっきり言ってこの人とは 『 一緒にはあまり働きたくない 』 と思って初めての会社を後にし、数年働いたところに、その「元上司」は、私のいた事業部のトップ・事業部長としてまた「上司」になって来たのです。

まさに、サラリーマンは、上司を選ぶことができない!を地で行った話です。さすがにこの話題は「赤い糸伝説」と呼ばれ今日、笑い話として伝えられています。

会社を辞めると、何かが自分の中で変わると勘違いしてしまうんですね。また、何か自分の周りも変わって良くなると。 その「勘違い」になかなか気づかないまま転職を繰り返すことが多い。

つまり、自分が変わらないまま、器(会社)を変えても同じことが起こってしまう。早く気づきたいものです。当時も、ああ、彼は「外資渡り」だからね?、なんて話をよく聞きました。
イケイケどんどん、の時代は転職のたびに給料も上がるし、また、そんな転職を選べました。

振り返って、薬剤師も、薬剤師バブルと呼ばれるくらい需要のほうが大きいので引く手あまたの時代がありました。ついこの前まで過ごした函館も、そんな地区のひとつです。(?2003年)

でも時代は変わりますよ。品質が本物かどうかが判断の基準になるし、なぜ、やめたのかも評判になる。もっともこれは、雇う側も、雇われる側も同じですけどね。

いったん辞めると決めたら潔く辞めること。辞めることを給料をあげる手段として使うなんてもってのほかですし、自分の代わりがいなくて困るんじゃないか、なーんて思うくらいなら「そんな仕事を自分がしているか」どうかを考える謙虚さが必要。

また「クビ」といわれたら引きずらない。いずれも自分が辞めることに当たって持ってきた哲学です。

いやなら辞めろ、辞めないなら何かを変えろ。

それでもどうしても辞めたい人は、「次の会社に初めて出勤する日の朝」の自分を想像してみてください。

スキップしてしまうほど楽しい気分になれそうなら、その転職はOKです。
辞めることを人のせいにしていると、私のように赤い糸体験をしてしまうかも知れませんよ。

ある薬局にて買い物

none_img_column

昨日(2009年6月22日)、受け取った処方箋には当薬局で扱っていない薬が処方されていました。こういう場合、各薬局で零売といって小分けして融通し合うことがあります。

この薬品の種類には、

  • 軟膏
  • クリーム
  • ローション

の三種類があって、それぞれ、容量が違っています。
さらに旧包装品もまだ流通していて、軟膏に「軟膏」の文字無しクリームに「クリーム」の文字無し、という厄介な商品です。
重さについては、軟膏は25g、クリームは20gです。今回は軟膏を買いに行きました。

そこで渡されたのは、実は、クリームだった、というのが今回のお話です。

買い物から戻ってきてから、その事を先方の薬局に電話し薬剤師を指定した上で伝えましたが、その薬剤師は開口一番、「 20gという連絡を受けてます。20gとおっしゃいませんでしたか?? 」というではありませんか。

だから、20gでも、25gでも軟膏といったら、軟膏渡すのがマナー(!)というものだろうよ。心の中の口調(かなり小心モノ)も思わずぞんざいになりますね。

耳を疑う事になりますが、この薬局では、軟膏とかクリームとかの区別ではなく重さで区分けしているというのです。

調剤過誤とは調剤にかかわる一連の流れの中の事故ですが、薬剤師対薬剤師のやり取りは事故じゃないのか?というと業界人同士のやり取りですから事故とはいえず、どちらかといえば、恥ずかしい分類になります。

恥を知っている薬剤師なら、まず「ごめん」、とか「すいません」、とか「失礼しました」とかコミュニケーションをとる言葉が出てくるはずなんですけど。

近年、珍しい事例でした。

自分の非や過ちを認めるのってそんなに難しい事じゃないと思うのですが、まだまだそれができない自分がかわいい楽剤師、いるんですね。変な人がたまたま薬剤師免許もっちゃったのと同じ事ですよ。

調剤薬局がつぶれた日【2009年改】

none_img_column? ? 2004.06.15

私さとうが、初めて勤務した調剤薬局は、今はもうありません

30歳のとき、初めて免許証を使うことになり、札幌から1時間半ほどの町に住みました。

社長はとても羽振りの良い人で、週に何回もススキノのクラブで豪遊しているという話でした。

初めてその社長と会ったときも見るからに高級そうな寿司屋さんで食事、その後クラブへ連れて行かれましたが、金満ぶりはそこかしこに現れていました。

私はそのとき、若かったせいもあるとは思いますけど、単純に調剤薬局って儲かるんだな、すごいなと、感じました。

車が好きだといって1000万を越える高級車を乗り、そのほかにさらに二台の外車を乗っていたことを思い出します。

腕にはやはり高級時計。

瀟洒な事務所を構えた時代、 時は、まさにバブルの頃です。

調剤薬局に勤めるのは初めてでしたが先輩の指導の下、

  • やったことのない調剤、
  • やったことのないレセプト請求

など仕事も覚えていきました。

そんな中、卸さんから郵送されてくる請求書を目にするころから「あれれ? これはおかしい」と気づき始めました。

いくら世間ずれしてない頃でも…です。

売上と請求書の残高とが、あまりにも桁ちがいなんです。つまり、問屋さんの支払いを先延ばしにして贅の限りを尽くす。まさにそんな感じでした。

私は1年ほどそこにいましたが、その後1年ほどで卸各社が取引しなくなり、(普通の製造業でいえば、原料を調達できなくて操業停止)、さらに追い討ちをかける様に処方箋発行元が、院外調剤を取りやめ、あえなくつぶれてしまいました

院外調剤の取りやめについては、これまた処方もとの医師への不正があってそれを白日の下にさらす事件があり、もうめちゃくちゃです。あとに残ったのは確か、問屋さんの一億を超える残債とリース物件の残高について保証人への転嫁だったと思います。

調剤薬局は、ガラス張りの経営だといわれますが、払うものを払わない経営で得る生活・贅沢、とはいったいなんだったのでしょう。

二種類の散剤を混ぜていないのに保険請求する混合計量加算、二種類の軟膏を混ぜていないのに保険請求する自家製剤加算、やっていない薬歴管理指導加算、など経営の中身としては実はガラス張りではないところがたくさんあります。保険請求で入ってくるお金がみんな生活費に消えるとしたら、それは確信犯的詐欺ですよね。

  • 企業としての薬局のモラル
  • 人としての薬剤師のモラル
  • 価値観としてそれらを共有できる薬局ができたら

調剤薬局はつぶれないはずなんですけどね…。

20年ちかく前の出来事ですが印象深いものでした。

フォロースルー【2009年改】

none_img_column  2003.09.11

私たちは、患者さまが薬局に入ってこられたときは『こんにちは』、そして薬局で薬を受け取り帰られるときは『おだいじにどうぞ』と言います。
今日はこのことについて考えていることを書いてみます。

私は高校時代にクラブ活動でアーチェリーをしていました。弓をしぼり、矢を放った後もしばらくその姿勢で的を見つづけますがこの姿勢をフォロースルーといいます。どんな矢を放ったか残った姿勢から判断することで残身、後に続く行動、最終仕上げ、チェック遂行という意味があり重要な動作でした。

私が患者さまと接する時に、特に気をつけていることで、また、だいまる薬局で仕事をする人にもしつこく話していることのひとつに、この「おだいじに」をどういう言いかたをするかということがあります。

調剤薬局に行って 「 おだいじに 」 ということばをかけられる場面を思い出してみてください。

私がいつも言うことは、挨拶は相手に通じなければいけないということ。相手を、患者さまを『必ず見て』言うことが大事ということです。例え後ろ向きの患者さまであっても必ずその患者さまを『見て』言ってくださいということです。

作業しながら下を向いて、なんてもってのほかです。

「おだいじにどうぞ」
「おだいじにどうぞ」
むなしい唱和では意味が有りません

玄関から出ようとする患者さまに心をこめてもう一度『お大事にどうぞ』、『気をつけてお帰り下さい』と声をかける事が薬局におけるフォロースルーということだと確信しています。

 

【2009年言いたい放題】

お大事に、という言葉は帰る患者さまにだけかけるの言葉じゃないんです。
そんな事、考えた事ないでしょうか。
だって、お大事にと言われた患者さまは、でていく、帰ってしまう、ひとでしょう?
でもその時に待合室には少なくとも数人患者さまがいらっしゃいます。

わたしだったら、下を向いて適当に合わせて【おだいじにぃ?】とは言われたくないですし、もしそうだったら、しっかりココはそんな薬局なんだなとインプットされますね。
この競争時代にそんな薬局をのさばらせておくほど、ゆるゆるじゃないでしょう。

「過去の薬局」として淘汰されてしまうのはゴメンですし、そんなスタッフと心中したくないです。