朝礼してますか?

だいまるコラム

だいまる薬局では、毎朝、朝礼をしています。

ちなみに毎金曜日は、終礼もします。

継続は力なり。

ある時期、形だけの朝礼なんて意味がないかと思ったこともありましたが、続けていると意味は見えてくるものだなと実感します。

たとえば、頻繁に患者さまの個人名が出てくるようになった…

これって、けっこう情報の共有になってるのではないかなと思っています。

情報共有ということでは、朝礼に参加しないパート職員さんのために朝礼ノートをつけてこれを見てもらうようにしています。

今朝は、加えてヒヤリハットの報告もありました。

ヒヤリとしたとき、そこから学ぶことはたくさんあるのではないでしょうか。

調剤室には危険がいっぱいです。数年前にも こんな記事 を書きました。

さて、だいまる薬局は1月決算です。

あとは税理士さんが通信簿をつけてくれるのを待つだけです。通信簿は、その会社が存続してこそ意味があります。

基本に立ち返って、毎日の仕事に生かす。

業務も、意識も、日々改善していきましょう。

今日の朝礼はそんな話をしました。

ある薬局にて買い物

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昨日(2009年6月22日)、受け取った処方箋には当薬局で扱っていない薬が処方されていました。こういう場合、各薬局で零売といって小分けして融通し合うことがあります。

この薬品の種類には、

  • 軟膏
  • クリーム
  • ローション

の三種類があって、それぞれ、容量が違っています。
さらに旧包装品もまだ流通していて、軟膏に「軟膏」の文字無しクリームに「クリーム」の文字無し、という厄介な商品です。
重さについては、軟膏は25g、クリームは20gです。今回は軟膏を買いに行きました。

そこで渡されたのは、実は、クリームだった、というのが今回のお話です。

買い物から戻ってきてから、その事を先方の薬局に電話し薬剤師を指定した上で伝えましたが、その薬剤師は開口一番、「 20gという連絡を受けてます。20gとおっしゃいませんでしたか?? 」というではありませんか。

だから、20gでも、25gでも軟膏といったら、軟膏渡すのがマナー(!)というものだろうよ。心の中の口調(かなり小心モノ)も思わずぞんざいになりますね。

耳を疑う事になりますが、この薬局では、軟膏とかクリームとかの区別ではなく重さで区分けしているというのです。

調剤過誤とは調剤にかかわる一連の流れの中の事故ですが、薬剤師対薬剤師のやり取りは事故じゃないのか?というと業界人同士のやり取りですから事故とはいえず、どちらかといえば、恥ずかしい分類になります。

恥を知っている薬剤師なら、まず「ごめん」、とか「すいません」、とか「失礼しました」とかコミュニケーションをとる言葉が出てくるはずなんですけど。

近年、珍しい事例でした。

自分の非や過ちを認めるのってそんなに難しい事じゃないと思うのですが、まだまだそれができない自分がかわいい楽剤師、いるんですね。変な人がたまたま薬剤師免許もっちゃったのと同じ事ですよ。

失敗から学習【2009年改】

none_img_column? 2006.01.09

苦情がくることがあります。
病院から、患者さんから、この半年のあいだに

  • 特に月に1-2回の頻度で錠剤の不足
  • 患者さまへの接遇
  • 待ち時間
  • 配達の遅延
  • 一包化の仕方

などなどの苦情をもらいました。
問題の頻度と内容が、危機感を募らせます。

 

対応に苦慮することもありますが、すべてのケースで正直に対応することを求められます。隠すと必ず【露呈・露見】するものです。

おこられることを気にしないのではありません。失敗を隠すのではなく、そこから「学習」し、個人として、会社としての『失敗力』を身につけるのです。

 

【2009年注:先に言っておきますが、今はだいまる薬局にいないほぼ特定の数人の事を書いてます。私にとってはもう時効で、過去の話です。私は当時は隠れてアンポンタン薬剤師と呼んでいましたが、今は隠れる必要も無いので大声でアンポンタンと言わせていただきます。】

当時、まったく学習しない、出来ない社員がいました。
逸話を多く残しましたが、二つ三つ紹介します。

  1. 患者さまに、錠剤の不足が、機械の不調のせいだと言った社員がいました。
  2. この薬は「劇薬です」と患者さまに言った社員がいました。「劇薬」は「劇薬」だから事実です。でも患者さまは劇薬の意味を知りません。この患者さまは、劇薬を「自分の飲んでる薬に対してとても失礼な言い方をした」と理解しました。
    その人間の話し方が「下を向いて口の中でぶつぶつ言い放った」と患者さまに伝わりました。コミュニケーションの基本である「人」対「人」の部分が大いに欠けていた訳です。
  3. 患者さまから「あの人に薬を出させないで」とそっと耳打ちされました。「あの人になってから間違いが多くてね」といわれます。(実際はどうだったのか不明ですが、そもそもその時点でOUT )

みんな免許を持って、給料をとって仕事をしているんだろう!  なぜサービス業でありながら、サービスを提供すべき相手からここまで言われるような仕事振りだったのか、悲しくなります。

患者さまのためにではなく「自分の仕事がしやすいように」、「ミスが発覚しないように」、自分の仕事はここまで、と線引きしたらどうなりますか。

私は、ぞっとします。

当該アンポンタン薬剤師の尻拭いで、ある患者さんのお宅を訪問しました。

お父さんが、「うちの子はこの薬が無いと生きられない。それだけ大事に思っている薬だ。頼ってるんだよ。」といわれました。

 

処方を出した病院からは、もっと強烈に言い放たれました。

「処方をちゃんと入力してるんですね」
「はい」
「監査はやってるんですね」
「はい」
「じゃあ、(そのアンポンタン薬剤師について) 足りないのは錠剤じゃなくて注意力ですね」
「は、はい、ごもっともです」

 

失敗から学習して失敗力を身につける。私個人の場合は、

「猫の手も借りたいと思って、猫以下の人間を採用することは二度としない」

というのがこの半年で得た【失敗力】です。

 

【2009年注: 本当にこの時期は苦しかったです。人材に恵まれないという事が、果たして何のせいなのかわからなかった。変な人ばっかり引き寄せるんです。牽引の法則があるとすれば、私の考えが変だったのでしょうけど、なかなか自分のせいとはおもえないのが人情なんですよね。念のために言い添えると、2009年現在はすばらしい人材に恵まれてます。東苗穂の変な店を閉じて、その後2006年に入った全員が安定して勤めてくれていますから。】

その投薬は誰がやったのか ?

none_img_column??? 2004.12.09

その投薬は誰がやったのか? ?
株式会社N調剤という会社で働いていたときのことです。

皮膚科の処方箋が出たAさんに、Bさんの精神科の薬を間違えて投薬するという事故が起こりました。

私が経験した最初の大きな調剤過誤でした。患者さまからの電話後、入院の手配、代理人と称する人との交渉、毎日のお見舞いなど多大な労力とお見舞い金などの金銭的な交渉などその後1-2ヶ月に渡って毎日がとても大変でした。

もちろん一番大変だったのはその被害にあった患者さまであったことは言うまでもありません。
この事件は「だれがやったか」? は実は最後までわからなかったのです。犯人捜しの話や、各種の噂ばなしは、ありましたが、本当に誰がどのようにという部分がわからない。

間違いを誰がやったか、という部分はこのようにやったことすらわからない、という状況であることが多いのです。
みんな、もしかしたら自分かも ? という負い目があるのにその確証もない。
いつか、誰かが、必ず当事者になる可能性があるのです。
そのことに気づくと、じつは、その投薬は誰がやったのかを詮索してもあまり意味がないことがわかります。やってしまったことは元に戻らないのだから、次回そのことを「やらない」ためにはどうしたらいいのかを話し合い、考えることのほうが重要になります。
私はこの経験から

間違いを指摘したりすることより間違わない環境を作ることの重要さを考えさせられました

だいまる薬局の朝礼でも何度もこの話題がでました。常に「誰が何をやってしまったか」よりも、「やらないようにするにはどうしたらいいか」また、「明日はわが身であるという教訓をどのように生かせるか。」

薬剤師は、資格があることで、薬を作ることと、投薬することを任されます。

常に間違えることを前提に仕事の流れを作ることで間違いにくい環境を整えていけるのだと思います。

調剤過誤を防ぐ基本

none_img_daimaru??? ? 2004.07.13

私は自分自身で調剤をするにあたり、いろいろな間違いをしてきましたし、いろいろな間違いもまた、みてきました。
薬剤師をやっていて間違いをしなかったと豪語する人はいても(悲しい勘違い)、間違えそうにならなかったという人はいないだろうと思います。

  • うっかり間違えること
  • 調剤過誤
  • ヒヤリハット

どれも、違いは紙一重ですし、それほど私たち薬局で働く人にとってはある意味身近なことです。

どうしたらその間違いをなくすことが、また、ゼロに限りなく近づけられるかということにみんな腐心するところだと思います。

科学的な根拠はさておき、だいまる薬局では整理整頓がまず「いの一番」の基本、だと思っています。

倉庫や書庫、薬歴の棚や、薬品庫などが汚れ、整理されていなければ、その薬局は限りなく間違いに近いところにあるといっても過言ではなかろうと思います。

綿ごみ、抜け毛がたくさんの床…。いままでたくさんのそのような、あるいはそれに近い薬局を見てきました

誰かがやる?

そうなると、もはや誰も片付けません。きれいなものは維持しようとするけど、坂道を転がった状態は、なかなか元に戻せないのです。

今日の朝礼では、 「 棚の薬剤の向きをそろえようという(一見どうでもいいようなことを)意識しよう 」 という話をしました。でも、それが基本だと思います。薬剤名の取り違え、思い込みを防ぐ大いなる手段にもなると思います。

『整理・整頓』
几帳面であれ、とはいいませんが、意識をそこに向けてみたら調剤過誤のほんのいくらかでも、防げると思っています。