会社を辞めるということ

none_img_column?? ? 2005.03.05

今まで 何回も会社を辞めました 。

1986年春、初めて勤めた会社を辞めると言うことを上司に伝えました。
初めてやめる事を経験したことで、感情があふれて涙、涙…。
今では考えられないほど純粋だった自分がいました。

米国からの輸入商品を扱う会社でした。
輸入した製品を日本のユーザーが使えるようにしていくことが仕事でした。

仕事はとても楽しかったのですが、初めての人間関係や、同族会社としての経営体制などが気になって、「長くは勤められないなー」と漠然と思ったものでした。

いい上司か、悪い上司か、いい会社か、悪い会社か。
今考えると、自分にとって、居心地が悪いだけだったのかもしれません。

やめることが決まっていたのは、次に行く会社が決まっていたからです。
もちろん、当時は準備万端整えてというわけにはいきませんでしたが、当時扱っていた商品の競合メーカーから幸運にも声がかかって、自分の中では少々浮かれ気味の転職でした。

次の仕事は、米国で製造された商品を日本法人が販売する形だったので、商品の未熟さを除けばあまり不満はありませんでした。
ただ、社会に出て2年ほどのわたしの経験の浅さでもわかる「商品の未熟さ」はいかんともしがたく、営業力で苦労しながらの販売でした。

前述の、初めて勤めた会社で扱う商品も 「 ライバル 」 として頑張っていましたが、そうこうするうち自分では今まで経験したことがないダイナミックな動きが本社で起こったのです。
M&A「企業の合併と買収」により、アメリカの本社が、その競合会社を買収してしまいました。

ここまでは、よくある話なのですが、自分にとって、あまり無いであろうと思われるのは、ここからです。

何を思ったか、私の転職先である日本法人の上層部は、元の私の上司をヘッドハンティングして受け入れてしまったのです。

当時、はっきり言って「一緒にはあまり働きたくない」と思って初めての会社を後にし、数年働いたところに、その「元上司」は、私のいた事業部の事業部長としてまた「上司」になって来たのです。

まさに、サラリーマンは、上司を選ぶことができない ! を地で行った話です。
さすがにこの話題は「赤い糸伝説」と呼ばれ今日、当時を知る人の間では、笑い話として伝えられています。

会社を辞めると、何かが自分の中で変わると勘違いしてしまうんですね。
また、何か自分の周りも変わって良くなると。
その「勘違い」になかなか気づかないまま転職を繰り返すことが多いわけです。

つまり、自分が変わらないまま、器 ( 会社 ) を変えても同じことが起こってしまう。早く気づきたいものです。当時も、ああ、彼は「外資渡り」だからね?、なんて話をよく聞きました。
イケイケどんどん、の時代は転職のたびに給料も上がるし、また、そんな転職を選べました。
振り返って、薬剤師も、薬剤師バブルと呼ばれるくらい需要のほうが大きいので引く手あまたの時代がありました。
ついこの前まで過ごした函館も、そんな地区のひとつです。(函館薬剤師会の方、ごめんなさい

でも時代は変わりますよ。
品質が本物かどうかが判断の基準になるし、なぜ、やめたのかも評判になる。
もっともこれは、雇う側も、雇われる側も同じですけどね。

 

いったん辞めると決めたら潔く辞めること。

 

辞めることを給料をあげる手段として使うなんてもってのほかですし、自分の代わりがいなくて困るんじゃないか、なーんて思うくらいなら 「 そんな仕事を自分がしているか 」 どうかを考える謙虚さが必要。
また「クビ」といわれたら引きずらない。いずれも自分が辞めることに当たって持ってきた哲学です。

 

いやなら辞めろ、辞めないなら何かを変えろ。

 

それでもどうしても辞めたい人は、 「 次の会社に初めて出勤する日の朝 」 の自分を想像してみてください。

スキップしてしまうほど楽しい気分になれそうなら、その転職はOKです。
辞めることを人のせいにしていると、私のように赤い糸体験をしてしまうかも知れませんよ。

『好きか・やりたいか』

none_img_column??? ? 2005.01.17

貧すれば鈍するということわざがあります。

辞書によれば、貧乏すると、世俗的な苦労が多いので、才知がにぶったり、品性が下落したりすること、とあります。

最近身の回りでこのことを感じる出来事がありました。
とても親しくしていた方がいましたが今回、袂を分かつ結果になり、同調できないことになりました。

久しぶりに見る顔は、とても今までと同一の人とは思えないほどの人相になっており、自分の思うとおりにいかないと怒り出し裏切られたと言い出す始末です。自分の思いを通そうとするあまり周りからどう見えるか、わからない様は、まさに裸の王様という感じでした。

私が問題にしているのは、考え方のことであり、仕事に対しての、手法そのもののことです。
自分が近い将来、彼の歳になったとき、何をよりどころに生きているだろうかと思いを馳せてみますと、 『 好きか・やりたいか 』 を判断しながら仕事を組み立てなければ、まさに自分も貧すれば鈍すといわれかねないからです。

  • やらなければいけない仕事
  • 義務でする仕事
  • 食うためにする仕事

に魅力を感じないし、やっていて喜びを感じられないと思います。

喜びと達成感を得るために仕事ができたら、幸せじゃないでしょうか?
世の中金ばかりじゃありません。

前出の方は、金があればもっとすごいことができると言いましたし、金が無いから大きなことができないとも言いました。

でも、残念ながら不足しているのは、お金とか、資金ではなくて、ビジョン(将来展望)と、理念です。これが無いと一歩前に出るのはなかなか難しい。

お金さえあればまた、何でもできるというなら、理念もビジョンもなくても効率優先で、それなりの結果は出るかもしれません。でも、人間にとって大事なのは、品と格という、その人の精神性が外ににじみ出たものではないですか。

自分はやっぱり好きで、やりたいことを、やりたいと思いますし、仕事には、金以外の喜びを感じ続ける感性を大事にしたいと思います。

薬剤師である前に…

none_img_column? ? 2005.01.04

年末に何度か人材紹介を受けました。

薬剤師の面接・面談なんて経験もないしどうしようかなーと思いながら、「なるようになるさ」と自分を励ましその場に向かいます。

すると、おもしろ事に、話しながら自分の頭が整理されてくると感じる時がありました。前から思っていること、いつか思ったけど引き出しにしまい忘れたことなどなどが少しずつ形になっていきます。

面接効果…なのでしょうか。

自分が必要に迫られて面接しているにもかかわらず、自身が面接してもらってるような錯覚にもとらわれたりします。

その中で、ある薬剤師に これだけは勤務する薬剤師に対して伝えたいと思うことがありますか ?? と質問され、とっさに出たのが 『 薬剤師である前に人間であれ 』 と思います、という言葉でした。

ひとの道に外れた行い・振舞い、これらは決してしてくれるなという想いです。自分の中に、薬剤師として、していい事といけない事のガイドラインをもつべきであるし、それ以前に人間としてどうかという価値観をもってほしいということです。

金はあるけど、徳がないと言われるのは寂しいことですし、ましてや金も徳もないなんてことになったら、人間をやめたほうがいいですよね。

人生にビジョンという指針を持ちガイドラインを持った人は強いです。そう思いませんか?

(2005年)元旦です

none_img_column??? 2005.01.01

新年明けましておめでとうございます。
昨年中は大変お世話になりました。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

だいまる薬局は、ここまで1年と8ヶ月営業させていただいております。
あっというまでした。

最近継続は力なりという言葉をかみしめております。

今年の一月で会社としてはじめての決算を迎えます。いい結果が出ることを祈っております。なぜなら会社が黒字じゃないと金融機関はなかなか相手にしてくれませんから。
また社歴が浅いことも相手にされない大きな理由になります。
ただし、何よりも経営に真摯であるか否かが大きく問われることは言うまでもありません。

社会的信用とは一朝一夕に出来るものではなく、また小手先の策を弄しても得られるものではありません。真剣に真剣に会社、そして社員とその家族のことを考えて、まじめに、地味に取り組むことでごく自然にできるものなのでしょう。

銀行にはキャッシュカードでお金をおろす時にしか行かなかった私ですが、世の多くの経営者がなぜ銀行に足を向けるのか、なんとなくわかってきたような気がします。

『有言実行』 書初めはしませんが、頭の中でなぞってみようと思います。

その投薬は誰がやったのか ?

none_img_column??? 2004.12.09

その投薬は誰がやったのか? ?
株式会社N調剤という会社で働いていたときのことです。

皮膚科の処方箋が出たAさんに、Bさんの精神科の薬を間違えて投薬するという事故が起こりました。

私が経験した最初の大きな調剤過誤でした。患者さまからの電話後、入院の手配、代理人と称する人との交渉、毎日のお見舞いなど多大な労力とお見舞い金などの金銭的な交渉などその後1-2ヶ月に渡って毎日がとても大変でした。

もちろん一番大変だったのはその被害にあった患者さまであったことは言うまでもありません。
この事件は「だれがやったか」? は実は最後までわからなかったのです。犯人捜しの話や、各種の噂ばなしは、ありましたが、本当に誰がどのようにという部分がわからない。

間違いを誰がやったか、という部分はこのようにやったことすらわからない、という状況であることが多いのです。
みんな、もしかしたら自分かも ? という負い目があるのにその確証もない。
いつか、誰かが、必ず当事者になる可能性があるのです。
そのことに気づくと、じつは、その投薬は誰がやったのかを詮索してもあまり意味がないことがわかります。やってしまったことは元に戻らないのだから、次回そのことを「やらない」ためにはどうしたらいいのかを話し合い、考えることのほうが重要になります。
私はこの経験から

間違いを指摘したりすることより間違わない環境を作ることの重要さを考えさせられました

だいまる薬局の朝礼でも何度もこの話題がでました。常に「誰が何をやってしまったか」よりも、「やらないようにするにはどうしたらいいか」また、「明日はわが身であるという教訓をどのように生かせるか。」

薬剤師は、資格があることで、薬を作ることと、投薬することを任されます。

常に間違えることを前提に仕事の流れを作ることで間違いにくい環境を整えていけるのだと思います。